感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004020005 斉藤環 社会的ひきこもり 終わらない思春期 1998 日本 PHP新書

評者:発起人    評価:7    読了日:2004/02/14    公開日:2004/02/14

ひきこもりとの格闘から生れた実践的対応のための本

 

 「ひきこもり」という言葉が流行語のようになって、本来の意味を離れて使われるようになってから久しい。私も不用意にこのホームページでこの言葉を使ってしまったことがあるような気がする。

 しかし、この本が出た1998年時点でもきちんとした統計は無いものの現実の問題として存在していたのである。著者の斎藤環(さいとう・たまき、1961-)は精神科医でこの問題に取り組んできたパイオニア的存在。その著者は「社会的ひきこもり」を次のように定義している:

「二十代後半までに問題化し、六カ月以上、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続しており、ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」

 臨床の現場にいる(た?)著者としては、とにかく従来の教科書や学説に無いが広範囲に存在する事象を前にして当惑したに違いない。この本は「社会的ひきこもり」と格闘しながら同時にそれをなんとか理論化しようとしてきた著者の苦労が現れた本になっている。

 しかし過度の理論化は避け、実際に家族がどのように向かい合い解決していくかという実践的マニュアルとしての本にもなっている。たとえば、もともと社会的ひきこもりでいちばん苦しんでいるのは本人なのだから、「正論」や「説教」は百害あって一利なしであるとか、治療に本人が参加しないのが通常であるのだからまず家族とのコミュニケーションを回復することがたいせつで、それには「挨拶」や「声かけ」から始めると効果があるとか、パソコンやeメールなどは有効な手段だとか・・・。

 精神医学界が総体としてこの問題を避けてきた状況の中で数々の臨床例から得た経験的知識の集積であるだけに有効なマニュアルになりえていると思う。

 しかし、理論の部分では、どうなんだろう?「去勢」=「万能であることをあきらめさせること」を否認させる社会・教育環境が「未成熟な」人間を作り出しているというような主張には、すぐに現実の役割を早くから受け入れてしまうような人間ばっかりでいいのか、経済効率からの視点が見え隠れするような気がするぞ、などと反論したくなってくるのである。

 私が戦後民主主義の幻想にとらわれているからなのか?はたまた私も「未成熟」だからなのか?


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