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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004020001 | 山折哲雄 |
神と仏 |
1983 | 日本 | 講談社現代新書 |
評者:発起人 評価:7 読了日:2004/02/04 公開日:2004/02/04
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神も仏もあった日本人の宗教観の分析
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人間、歳を取ってくると、『蛇にピアス』もいいが、このようなタイトルの本にも手を伸ばしてみたくもなるのである。このウェブサイトをオープンしてから宗教をテーマにした本を読んだのは、 ひろさちや 『仏教とキリスト教』(1986)以来これが2冊目になる。 ひろさちやの本のときは、「神も仏もあるものか」などと不遜きわまりないな言葉を吐いていたのだが、今回この有名な宗教学者、山折哲雄(やまおり・てつお、1931-)の本を読むと、いやいや日本には神も仏もいたのである。 日本古来の神々と後に伝来してきた仏教との入り組んだ関係については私にはほとんど知識が無かった。しかし、長い歴史の中でいったい稲荷神社とは何かとか、陰陽道はいったい何の宗教?なのかとかいちいち本を読んだりしていては概括的な知識さえもえられない。 しかし、ここがこの山折哲雄のえらいところだ。あまり細部に入り込まないで、カミとホトケを対称的ないくつかの座標軸で分類し、その対立・補完・交錯の関係を明確にしてくれる。 たとえば「見えない」存在としてのカミと「見える」存在としてのホトケ。「祟る」カミと「鎮める」ホトケ。しかし、著者の視点は決してこのような単純な二分法に満足しているわけではない。それぞれの特質を明晰に言語化しながらも、同時に時の流れの中でそのような単純な区別が交錯する論理的な過程をも浮き彫りにしてくれる。しかもさまざまな例があげられていてわかりやすい。 にもかかわらず、今の私が読んで、あー、これが日本人のアイデンティティなんだな、私の中にも脈々とこうした渇望があるのだなあ、などとまでは思えないのである。たぶんそれほど日本は(あるいは私は)変わってしまったことのほうが大きいのである。基層部分に「祟り」や「霊」やなんだかんだというところを持っているかもしれないが、表層のほうが分厚くなってしまっているのである。 化けの皮がはがれてもはがれてもまだまだ「基層」にまでは到達しないのである。これは喜ぶべきことなのか嘆くべきことなのかはもう少し生きてみないとわからないな。あるいは永遠にわからないことなのかもしれない。そもそも宗教は本来学者以外にとっては勉強するものじゃないのだろう。 |