感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004010007 ジャン・ポール・サルトル

ユダヤ人

1947 フランス 岩波新書

評者:発起人    評価:8    読了日:2004/01/30    公開日:2004/01/30

言葉の力/その無力

 

 フランスの哲学者・文学者、ジャン・ポール・サルトル(1905-1980)によるユダヤ人論。

 まあ私の世代からすると、サルトルはとにかく偉大な実存主義哲学者として、読んでいなくても読んだふりをしていなければならないほどのビッグ・ネームだった。いや、それは違うか。読んでなくても恥ずかしいことでは無いという風潮がおそらく多数を占めつつあった時代に私は学生時代を過ごしたと言っていいかもしれない。

 そのサルトルが1947年に発表したというユダヤ人論、言葉の力を感じる。しかもナチスによるユダヤ人ホロコースト政策があり、ドイツが敗北して間もない時期書かれたこの作品、ナチスにはほとんど触れていないのにも関わらず、大きな迫力を読者に与えるものとなっている。現代において、これほどの力を持った言葉を綴ることのできる人がいったいどれだけいるのかと考えてしまうのである。

 私はこのウェブサイトで同じ題名の本、上田和夫 『ユダヤ人』(1986)の感想文を載せている。そこで私は、こんなことを書いてしまっている:

守るべきは、武力に守られたイスラエルという国家なのか?父祖(2千年前)の土地なのか?神との「契約」の遵守なのか?それとも、ユダヤ人から特定の宗派や言語にかかわりのない人間一般への道なのか?」

 私がこんなことを書いて解決できるような問題なら2000年以上も未解決でいるわけはなかったということなのだ。一般的な自由主義や民主主義が解決できるような問題ではなかったということである。

「ユダヤ人とは、他の人々が、ユダヤ人と考えている人間である。」(p82)

「ユダヤ人が彼等の権利を完全に行使出来ぬ限り、フランス人は一人として自由ではないのである。フランスにおいて、更には、世界全体において、ユダヤ人がひとりでも自分の生命の危険を感じるようなことがある限り、フランス人も、ひとりとして安全ではないのである。」(p188-189)

とサルトルはこの小論を締めくくっているが、もちろんフランス人ーユダヤ人と同等の、規模は小さいかもしれないが、問題を私たち日本人も抱えていること、そしてその解決の道を真剣に私たちが考えたことは無いかもしれないのだということを考えずにはいられなくする評論である。(まあ、そのようなことを考えてもらおうと、たとえば小説家出身だという東京都知事に期待はしないが・・・)

 もちろん、この特定の時点でサルトルがユダヤ人問題の根本的な解決が社会主義革命にあると断言していることを批判することは簡単である。しかし、その部分を批判したからといって、21世紀の私たちが現に生きている時代のユダヤ人問題、あるいは敷衍して(民族)差別問題 は解決されていないし、差別されている状況にいる人たちへのサルトルの実存主義哲学からする批判・分析が有効性を失ったというわけではない。

「反ユダヤ主義者は憎悪を選んだが、それは憎悪が一つの信仰だからである。それは、言葉と理性をはじめから無価値にすることを選んだことにもなるのである。」(p17)


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