感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004010006 澁澤龍彦

サド侯爵の生涯

1964 日本 中公文庫

評者:発起人    評価:9    読了日:2004/01/28    公開日:2004/01/28

ヘンタイの元祖では無かった。究極の文学者の生涯を描いた傑作

 

 サディズムという言葉に名を残しているサド侯爵(1740-1814)、しかしその作品や生涯についてはあまり知られていないのではないだろうか?鞭などで相手を痛めつけることで性的快楽を得る、まあ簡単に言えばヘンタイのひとつの形態の元祖としてのサド、というのが普通のイメージである。

 とにかく歴史の教科書に名が出てきたり、国語の教科書にその作品が載せられるような取り扱いは受けていないと思う。私がこの本を読もうと思ったきっかけも、私の現在の枕頭の書、フーコー『狂気の歴史』の中にサドの名がたびたび登場するからである。

 この本を読むと、現実の人間としてのサドの行動と永年牢獄の中で過ごしたサドが牢獄の中で紡ぎあげた作品世界は、もちろん密接な関連はあるが別のものとして考えられなくてはならないということがよく理解できる。 

 生きているときから風俗壊乱などのスキャンダルで有名だったサド侯爵は、しかしこの本を読む限り、重罪となるような「罪」を犯した人物では無い。むしろ監禁され、その中で生み出された文学自体が当時の権力・社会にとって危険だとされたのである。

 ブルボン王朝、フランス革命政権、ナポレオン政権と政権は変わっても、また一時的に出版の自由を得た時期もあったが、最後にはサドは危険な小説の作者として精神病院に死ぬまで収監されてしまうのである。何度も作品原稿が警察に押収されたり、廃棄されたりしたためサドの全作品は残っていないらしいが、いったいサドの作品のどこがそんなに危険なのだろうか?

 サドの死後もその著作は禁書扱いを受けるが、著者が指摘しているようにその作品の影響は脈々と続き20世紀になって新資料が発見されたり、熱心な研究者が現れて再評価されるようになった。フロイトなどもサドを研究対象にしているようだ。

「「すべてをあからさまにいう」という単純なことが、いかに体制にとって恐怖すべきことであったかは、サドの数々の受難の歴史を振り返ってみれば一目瞭然であろう。」(p348)

「自分の身に禍いの降りかかってこないような文章を、じつにサドは一行も書かなかったのである。逆説的にいうならば(いや、決して逆説ではあるまい)、彼はみずからの理性によって監禁されたのである!」(p349)

 さて、それでは現代日本の社会は、そして現代日本の文学者たちはどうなのかなどという意識を片隅に置きながら、サドの作品を少し読んでいくことにしよう。そのような気にさせる、著者の澁澤龍彦(しぶさわ・たつひこ、1928-87)の力には敬服する。


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