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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003120009

大江健三郎 二百年の子供 2003 日本 中央公論新社

評者:発起人    評価:6    読了日:2003/12/25    公開日:2003/12/25

若い人たちに最適のノーベル賞作家入門書?

 

 大江健三郎が衰退したのか?それとも私の感受性が鈍磨したのか?それともその両方か?

 つまり、昔読んだような感動を覚えなかったということです。私が最後に大江健三郎の本を読んだのは、もう10年以上前の1992年。決して熱心な読者というわけではないのですが・・・。

 この本の帯に著者の言葉として、「私の唯一のファンタジー」とありますが、「ファンタジー」であるかどうかは別にして、著者が今まで何度もさまざまなかたちで表現してきたテーマがこの作品にも出てきます。森に囲まれた四国の故郷の村とそこに伝わるさまざまの伝承・物語、障害を持って生れた子供、暴力に満ち溢れた世界、その中で絶望せず、しても何度もそれを乗り越え未来を作っていくという決意・祈り−これは変わっていません。

 この作品では視点が子供の側におかれています。作家である父親が「ピンチ」(精神的危機)に陥り、母が父に連れ添い、米国の大学へ行ってしまった後日本に残された子供たち「三人組」。

 長男の「真木」は十八歳、障害を持って生れてきたが音楽には豊かな才能を持っています。長女の「あかり」は中学2年生で絵が得意。次男の「朔(さく)」は姉とひとつ違いで「頭がいい」(論理的)。

 この三人組が父の故郷の村で過ごした夏休み−かれらは村の言い伝えどおりシイの老木の「うろ」の中で眠ることで時間旅行ができたのです。

 元治年間(1864年)、川の下流域から重い年貢に耐え切れず何もかも捨てて山を越え隣藩に向かった「挑散(ちょうさん)」の一行がこの村を通過しようとしたとき。その数年後に今度は「一揆」に村が巻き込まれたとき。そして最後には2064年の未来へ。そこでかれらが体験したことは?

 なにかが変わったのか?結局は朔の口ぐせのように「むいみ」だったのだろうか?日本に帰ってきた父は朔にこう言っています。

「私が「ピンチ」だったのは、自分のいまに未来を見つけないでさ、閉じてしまった扉のこちら側で、思い出したり後悔したりするだけだったからじゃないか?もう残っているいまは短いが、そこにふくまれる未来を見ようと思い立ってね。」(p276)

 うん、そりゃそうなんですけど。それに今までの読者だけではなくもっと広い層にも訴えたいという作者の意図も理解できるつもりなんですけど・・・。(つい最近もNHK特集「安全保障」という番組で、中曽根元首相なんかと決して上手とは言えないのに「討論」しているのをチラッと見かけました。)

 昔の大江健三郎の持っていた緊迫感・切迫感のようなものが薄れてしまった気がして、私には物足りなく感じたんですね。

 でも、はじめて大江健三郎を読んでみようという人、とくに若い読者には最適の本かもしれません。

 この作品、『読売新聞』の土曜日の朝刊に連載されたものだそうです。(渡辺淳一なんかと読売新聞のTVCMにも出演していましたね、たしか。)  


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