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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
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2003120006 |
東野圭吾 | 変身 | 1991 | 日本 | 講談社文庫 |
評者:発起人 評価:6 読了日:2003/12/18 公開日:2003/12/18
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自分が自分で無くなっていく恐怖
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自分であるのに、自分でなくなっていく。性格や異性の好み、芸術の才能、記憶・思い出までが別のものに変わっていく。この小説の主人公、成瀬純一は平凡な工場の技術屋でどちらかといえば気の弱い男であるが、ある日ふと入った不動産屋で事件に巻き込まれ脳に銃弾を受けてしまう。 気付いたときには病院の中−そして成瀬はドナーから右脳の一部を移植されてたすかったことを知らされる。この世界初の脳移植手術は成功したかに見えたのだが・・・徐々に移植された脳の「人格」が成瀬純一の「人格」を侵し始める。 これは手術を行った東都大学の堂元教授にも予想できなかった事態であった。人間の心とは?脳の機能なのか?神経を走る電気信号の集積なのか?そうであればドナーの脳が成瀬に影響を与えるはずはないではないか。 自分がなにか別のものに変わってしまう恐怖−このテーマは多様な文学作品に見られるテーマのひとつではないかと、東野圭吾のこの作品を読んであらためて気づいた。カフカ『変身』(1915)、スティーヴンソン『ジーキル博士とハイド氏』(1886)、ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』(1966)や未読だが『フランケンシュタイン』等々などでおなじみのテーマに最近の脳科学の成果(のように思えるもの)をスパイスして上質の現代エンターテインメントに仕立て上げた作者の腕はまさに職人芸。だが、先人たちのテーマへの取り組みになにかひとつでも新しいものを付け加えるというところにまではいたらなかったように思うので6点! 脳・記憶とは何か?生とは死とは?などというような問題も軽く考えさせてくれました。養老先生なら何というのか? |