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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
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2003120002 |
チャールズ・ブコウスキー | 詩人と女たち | 1978 | アメリカ | 河出文庫 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2003/12/06 公開日:2003/12/06
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飲んだくれのスケベオヤジ詩人の行状から透けて見える純情
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・・・なんて題をつけるとたぶん、「わかってない」という批判と「とんでもない」という批判に直面することになるだろう。どちらの批判も可能である。 米国の詩人・小説家、チャールズ・ブコウスキー(1920-1994)のこの自伝的作品、「ヘンリー・チナスキー」という50歳を過ぎた、作者を彷彿とさせる人物が、酔っ払い、とっかえひっかえ女と関係し、クスリをキメ、競馬場で賭け、二日酔いで吐くという1970年代の毎日を描いている。 描写は赤裸々で気取りはない。同時に悟りもなく、進歩もなく、普通の意味での愛情もない。自責の感情や後悔がときたま顔を出すがそんなときでも彼のもとには新しい女たちがやってくるのだ。 彼にとって(も)女は永遠の謎である。 「わたしは自分が男だから、心の中で男たちを創作することができる。しかし女たちは、わたしの場合、まず知ることなしに小説化することはほとんど不可能に近かった。」(p395) そして彼は(も)女に屈服している。 「彼女たちはわたしたちよりも優れていた。わたしたちよりもきちんと計画をたてるし、よりきちんとしている。・・・結局のところは、どうでもよかった。彼女たちがどうしようと、わたしたちは気がつけばみんなひとりぼっちになって、気も狂ってしまっているのだ。」(p422) そして自虐的な感情に耽溺し甘えるのである。 「わたしは彼女たちのことを何ひとつ思いやることもなく、いろんなことが起こるにまかせているだけだ。自分の独善的で安っぽい快楽のことしか考えていない。できそこないの高校生のガキと何ら変わるところがない。・・・こんな自分をどうして人間呼ばわりできる?どうして詩など書ける?・・・わたしは正真正銘のどうしようもない人間だ。」(p412〜413) しかし、彼は詩人である。このような独白、私生活を小説や詩のカタチで発表しそれがまた女を呼び寄せるという生活を続けるのだ。実は、これは多分何百年も続いている文学者や吟遊詩人たちの生活の基本に忠実な姿なのかもしれない。 それができない男は王侯貴族で無いかぎり当然フツーの生活をしていて、いやブコウスキーはハチャメチャだけどパンクス(とこの言葉の意味もよくわかってないのだが)だけあって男の純情があるよなあなんて月並みな感想をもらすしかないのである。 |