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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003100012

丸山圭三郎 言葉と無意識 1987 日本 講談社現代新書

評者:発起人    評価:8    読了日:2003/10/25    公開日:2003/10/26

<頭>ではわかっても<気持ち>がついていかないのは何故か?

 

  丸山圭三郎(1933-1993)−この人を私は、この本でも触れられているスイスの言語学者ソシュール(1857-1913)の紹介者・注釈者として知っていた。本の山の中には、(未読だが)『ソシュールの思想』(1981、岩波書店)がある。今度さらに少し調べてみると、そうだこの人はNHKのフランス語講座にも出ていた人だったと思い出したのである。

 さて、この本であるが、単に(それだけでも大変なことだが)ソシュールの紹介という範囲をはるかに超えて、言葉というものの重層的な見方、捉え方を読者に促す本になっている。私が感心したポイントをご紹介すると・・・。

(1) ロゴスとパトス=<頭>と<気持ち>の二者択一思想からの脱却

 ロゴスとパトスとは、「くだいて言ってしまえば、<頭>と<気持ち>なのである」(p16)。なるほど。

 うん、でもハイデガーが何か言っている?「ロゴスとしての言葉は、すでに分節され秩序化されている事物にラベルを貼りつけるだけのものではなく、その正反対に、名づけることによって異なるものを一つのカテゴリーにとりまとめ、世界を喚起する根源的な存在喚起力としてとらえられていた」(p20)とな?

 それではパトス=<気持ち>のほうはどうなるのか?「<パトス>もまたコスモスの一部であり、これは同じ<ロゴス=言葉>の深層において激しく脈うつもう一つの言葉なのである。」(p37)しかし、「「ロゴスかパトスか」、「理性か感性か」という二者択一思想こそ、私が表層のロゴスと呼ぶ硬直した発想以外の何ものでもないだろう。」(p39)。

 うーむ。

(2) ソシュールのアナグラム研究が示したもの

 死後『一般言語学講義』(1916)としてまとめられたジュネーヴ大学での講義により一般言語学理論の確立者として知られるソシュールは、しかしアナグラム研究に没頭した時期があった。アナグラムとは、「一語あるいは一文中の配置を変えて、それがまったく違う意味をもった他の一語または数 語を構成するようにする」言葉遊びである。(清涼院流水なんかもアナグラムにとりつかれていますね。)古代・中世の詩を研究することで発見したアナグラムをソシュールは詩人たちの意識的行為であったということを確認しようと躍起になる。(けっこうこのあたりソシュールも危ない感じになっているような気もしますが・・・)。

「それでいったいソシュールのこのような研究はどういう意味を持っているのだろうか?つまり、「西欧形而上学が疑ってもみなかった<超越的意味>を解体し、<主体の壊乱>をその帰結として示した・・・」(p141)のである。

(3) 深層意識の重要性と表層のロゴスの認識

 従来切り捨てられてきた「無意識」≒「欲動」≒カオスの発見・重要視という点でソシュールはフロイトの「先行者」である。(興味がある人はこの本のp180とp186にある二つの図をご覧いただきたい。)

「私たちの心の病いの真の原因は、・・・言葉の<ある状態>がもたらすものなのであって、それは「関係でしかないものが実体と錯視される」言語(ラング)の状況であり、・・・言葉の物象化現象であり、<表層のロゴス>の産物以外の何ものでもないと言えるであろう。」(p223)

 うん、なんとなくわかるよ。うーん、それで?となるとやっぱりこの本も当然だがよくわからないままに、ニーチェや孔子の引用で終わるのである。

「知る者は好む者に及ばす、好む者は喜ぶ者に及ばない」(p232、孔子)

「まことに、「読み、書き、生きる」行為が一つに重なる私たちの深層意識においては、ロゴスはパトスであり、パトスはロゴスであるのだから。」(p232)

 うーむ。

 浅田彰の『構造と力』(1983)でも取り上げられていたクリステヴァやラカンなどこの種の(哲学・思想紹介)本におなじみの名前だけでなく、百人一首に秘められた秘密(?)や右脳・左脳論などのエピソードもたくさん入っていて比較的読みやすいが、その分迫力が薄まっているような気もする。


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