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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003100010

伊坂幸太郎 重力ピエロ 2003 日本 新潮社

評者:発起人    評価:4    読了日:2003/10/19    公開日:2003/10/19

「遺伝子」にこだわりすぎるからおもしろくないのか

 

  若者の保守化傾向が言われて久しい。かれらは現在ある秩序に従順である。資本主義経済体制やそれを支える政治、広く秩序を肯定する。そしてこうした秩序への反抗や不服従行為を異端視し、嫌悪し、排除するようになってくる。

 昔は小説なんかを書こうという手合はこうした保守派の領域には少なかった。むしろ異端児こそが小説家・文学者というイメージがあった。保守派の読者が少なかったからかもしれない。しかし1970年代中頃あたりから流れは変わった。近頃ではこのような保守化の風潮にいるのは当然なのでそのこと自体を自覚している作家も減っているのかもしれない。

 保守化が行き着くところは、「血」なのである。遺伝子なのだ。遺伝子がすべてを支配する=優良な遺伝子こそ残すべきものだという命題なのである。

 伊坂幸太郎(1971-)のこの小説もテーマは「遺伝子」だ。(断っておくが、決して著者がナチスのような優生思想の持ち主だと言っているわけではない。)

「私がこれからくどくどと話すつもりでいるのは、遺伝子と連続放火事件についての話だ。つい最近起こった私的な事件の顛末で、それはせんじ詰めれば、弟の話になる。」(p12)

 語り手の私、泉水(いずみ、♂だよ)は遺伝子工学の会社に勤めている。弟の春とは「半分しか血が繋がっていない。」(p13)今はもういない母が二十数年前、当時未成年の強姦魔に襲われて妊娠して生まれたのが春なのだ。現在は末期癌で入院している父はすべての事情をわかった上で春を自分の子として育てた。春が生まれたのはピカソが亡くなった日だが、そのせいか春には芸術的才能があり、それだけではなく「格好良くて、ユーモアがあるし、運動能力も抜群」(p19)で女性に「モテモテ」なのだが、春は自分の出生の事情を聞かされたためか性的なものを嫌悪している。

 さて「私」は春に導かれるようにして、最近頻発している連続放火事件とその発生現場近くにあるグラフィティアート(スプレーなどで壁などに描かれた落書きですね)の関連を追求していく・・・。ふたつの「事件」の関連とは?

「今から思えば、私はその時点で放火事件とグラフィティアートのルールに気づいても良かった。」(p174)「間が抜けているとしか言いようがない。」(同)って、おいおい!遅すぎるんだって!

 だからこれはミステリとしては失敗作であると思う。私が好きなどんでん返しも無く、100ページも読まない間に謎はわかってしまい、淡々と事件の謎は解かれてしまう。

 ミステリ的な要素以外の部分ではどうなのか?うーん、私には春をはじめとする登場人物の行動を肯定することはできなかった。結局は「遺伝子」から逃れようとして、「遺伝子」の呪縛にとらわれてしまっているように感じられた。何がガンジーだよ?トルストイだよ?と思ってしまった。(ミステリのギミックとテーマの深刻さがうまく噛み合っていないということかな。)

 この小説の中で目に付いたのは、「品がある」、「上品」、あるいは逆に「品がない」、「下品」という表現である。でも「品」にこだわっているのに、主人公たちの行動は結果として「下品」の極地になってしまっているのではないか?ああ、だから遺伝子からは逃れられないっていうのかな?それとも私がエセ人道主義に感化されているからだろうか?厳しすぎるかもしれないが、私の評価は4点!


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