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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003100007

ひろさちや 仏教とキリスト教 1986 日本 新潮選書

評者:発起人    評価:6    読了日:2003/10/14    公開日:2003/10/15

こんな本(失礼!)一冊読んで理解しようという精神が間違っているっ!−そんな奴ぁいねえよっ!

 

  仏教の啓蒙書などを書いている、ひろさちや(1936-)がキリスト教との比較で仏教を、あるいは仏教との比較でキリスト教を語った本。自分がいかにどちらの宗教にも無知であったのかよくわかった、つまり無知の自覚ができたということかな。

 知っている人には当たり前のことなんだろうけど、私がこの本を読んで「ヘぇ〜!」とうなってしまった知識は数多い。たとえば、

☆ 聖母マリアのお母さんの名前はアンナである。

☆ 出家ではない(妻子を持つ)仏教僧がいるのは日本だけである。

☆ 仏教徒の数珠とキリスト教徒のロザリオ、どちらもお祈りの回数を数えるためのものである。

☆ 観音様(観世音菩薩)は仏教の教義としては、男である。(=女性の菩薩はいない)

☆ 日本人のお墓や葬式に対する考え方は仏教とは無関係である。

☆ 神前結婚式は大正天皇の結婚式(1900)以降今のようなかたちになった。

 別にこれらの知識がムダであると言うつもりは無い。仏教もキリスト教も多分、それらが無かったら人間は生きてこられなかった何ものかであることは間違いの無いところである。(ちなみに、☆豚に真珠はキリストの言葉である、という知識は「へぇ〜の本」に載っているのを立ち読みしたのを想い出したが、もちろんこれは有名な「山上の垂訓」から来ている。)

 ところが同じように、現代日本人の多くは(過去の日本人と同じように)このような世界宗教とはかなり無縁なところで生きてきたように思えるのも事実である。(これは著者が言う日本の学校制度では宗教教育が難しい状況にあるということが主な原因では無いと思う。)ほんとうは「神も仏もあるものか」(このセリフ、いったいどこから来たんでしょうね。)と思っているところがある。でも葬式や結婚式では神妙にしている、つまり「現世利益」のためには平気で周りに合わせてしまう。私も昔アメリカのビザを取得するときに宗教はBuddhistだと書いたほうがいいですよと旅行代理店からアドバイスを受けてそう書いた覚えがある。

 つまり、だからこそ日本人はかなり柔軟に生きてきたというところがあるのでは無いかとも思うのだ。そういう意味で、このような本も深刻にとらず、飲みに行くときの「薀蓄」のタネとして貯え、消費してしまうのである。

 著者もそのようなあり方は十分理解したうえでこの本を書いたのではないかというのはもちろん私の邪推である。


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