感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003100004

石田衣良 4TEEN フォーティーン 2003 日本 新潮社

評者:発起人    評価:4    読了日:2003/10/09    公開日:2003/10/09

大人のような子供たちと子供のような大人たち−石田衣良の直木賞受賞作

 

  『池袋ウエストゲートパーク』(1998)でデビューした石田衣良(いしだ・いら、1960-)が見事直木賞(第129回)をしとめた作品。

 語り手の「ぼく」、テツロー(北川徹郎)は東京の埋立地、月島に住んで月島中学校にかよう、音楽や本が好きな平凡な中学生だ。いつも同じクラスのジュン、ナオト、ダイと行動をともにしている。

 ジュンは勉強が良くできる秀才タイプで成績は学校でトップクラス。(もちろ分厚いメガネをかけている。)

 ナオトは超高層マンションに住むお金持ちの家庭に育ったが平均寿命は三十歳代という「早老症」という難病にかかっていてときどき入院する。すでに頭は半白髪だ。

 そしてダイはもちろん大食いで体がでかい。家は昔からある長屋住まい。

 このように育ちも見た目も家庭環境も違うが何故か気の合うこの4人組の中学2年生の一年間を八つの連作短編のかたちで描いたのがこの作品である。4人は子供から大人へといろいろなできごとを通じて成長していくのである。古い東京と新しい東京、貧しい東京と豊かな東京が並存する町、月島周辺が叙情的味わいを提供する。かれらの共通ツールは、ケータイ、自転車、エロ本であり、ヒップポップなどの音楽だ。(さすがにここでキャンディーズやあきれたボーイズを持ち出してくるような失敗はしていない。)

 スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』の設定を背景としての現代日本(その理解は表層的であるが)にそのまま移したような感覚と言えばほめすぎになるだろう。もちろんキングの世界は人口甘味料でさらに甘くされ、自己陶酔にしか過ぎない地点にまで落ち込んでしまうのだが・・・。

 4人は子供のように見えて実はたいへん倫理的な存在として描かれている。これと対照的に周辺の大人たちの存在は陰が薄い。「ぼく」の両親についてはほとんど描写が無いほどだ。それどころか大人たちは夢や希望も無くただただ利己的な動機に基づいて生きている、軽蔑すべき存在として描かれている場合が多い。

 つまり、現実の問題を世代間の問題として簡単に片付けようとしている点がこの作者の甘さなのだ。この点が変わらない限り風俗小説として文学史の1ページに記録されることで終わるだろう。(『太陽の季節』とか『なんとなくクリスタル』とか他にも例は多いけど・・・)

 そんなに難しく考えなくても楽しめばいいのだが、この程度の物語だったらわざわざ小説を読む意味は無いように私には思われた。

「ぼくは本を読むのが好きだけれど、こういう場所ではその手の会話はまったく機能しなかった。だって誰も本など読んでいないのだ。読書はきっと時代の趣味からははずれてしまったのだろう。」(p230)

 と、ここまで書いて風呂に入って思い当たった!この小説は別に中学生のために書かれた本じゃないんだ。実はこの作品で無視・軽視されている大人のために書かれたんだ。もしあなたが今14歳に戻ったら何をしますか?私ならこうしたいという作者のメッセージなのか?

 なるほどその意味でこの小説のマンネリとも言える設定も当然のことかもしれない。で?それで何をするんだ?やっぱり14歳に戻ってもたいしたことしないんだな・・・と思ってしまったのであった。


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