|
感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
|
2003100003 |
能登路雅子 | ディズニーランドという聖地 | 1990 | 日本 | 岩波新書 |
評者:発起人 評価:7 読了日:2003/10/08 公開日:2003/10/08
|
ディズニーランド好きですか? − ええ、もちろん!
|
|
ディズニー(ランド)、好きですか?と訊かれて否定的に答える人は偏屈ものである、とほとんどの人がそう思うだろうと思う人がほとんどなのでほとんどの人が「好きです」と答えるのだ。 ん? マスメディアでディズニーランド(もちろディズニーシーなどを含めて)を批判的にコメントする人はほとんどいない。メディアにとってはディズニーは巨大な支配力を持った企業であり、ディズニーグループではない企業にとってもスポンサー契約(この本ではこの面にはほとんど触れられていないが)を基本的に一業種一社に限る商売のやり方や厳密な著作権管理によってちょっと手が出せない存在になっているからだ。 つまりディズニーは2003年の日本社会において批判が許されないタブーになりつつある・・・ような気がする。 今回取り上げるこの13年前に発売された岩波新書の一冊は主にアメリカ人にとってのディズニーランドについて書かれた本である。著者の能登路雅子(1949-、現在東大教授)はみずからがディズニーランドに関わった経験から説き起こし、アメリカ人にとってそれが「一生に一度は行くべき聖地となった」(p204)という概念できれいにまとめている。ディズニーランドの園内にあるひとつひとつのアトラクションの具体的な分析とウォルト・ディズニーの生涯そして彼に影響を与えたアメリカ文化・社会の分析が縦横の糸のようにこの「聖地」の構造を明らかにすることに成功している。 アメリカ人にとっての聖地は日本人にとってのタブーになったのだろうか?聖地は当然タブーなのだろうか?あるいはアメリカ人の共有する夢や文化が日本を含めた世界によっても共有されるようになってきているのか?その前兆はすでにこの本にも描かれている。(フランスの若い人は「シンデレラ」などフランス語で書かれた童話を原作にしていたお話がディズニーの原作であると思い込んでいるとか・・・) 「しかしながら、そうしてディズニーランドの非日常的世界は、しだいに虚構世界ではなくなってきている。我々の住む現実の空間の方が、いまや確実にディズニーランドに近づいてきているのである。」(p81) 「ある大学の教室で学生が反ディズニーランド論を展開したところ、女子学生が怒って泣き出したという話や、知識人のあいだでタブーとされる話題が宗教とならびディズニーランドである、という話も私はアメリカで耳にした。」(p243) そうなのか? 是非、著者には本書の続編を書いて欲しいと思う。 |