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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003090013

赤瀬川原平 千利休 無言の前衛 1990 日本 岩波新書

評者:発起人    評価:9    読了日:2003/09/30    公開日:2003/09/30

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 秋の夜長、どうです、お茶でも一杯?

(ずるずる) あー。

(ずるずる) あー。

 いいですね。

(・・・・)

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

(ずるずる) あー。

うん?

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

とここで終われないのが凡人の悲しき性である。

 あの有名な茶道の芸術家、千利休(1522-1591)についての本。だが著者の赤瀬川原平(1937-)の筆運びは自由自在である。でも話は逸れまくっているようで、ポイントはきちんと押さえられている。というか無理矢理そのように感じさせられるようにできている。

 何しろ前衛芸術家であり(千円札をそのままコピーしたものを作品として裁判になったこともある人である)、小説を書いては芥川賞まで取ってしまい(尾辻克彦という筆名)、「路上観察学会」を主宰し(「事務局長」がなんと「王様のブランチ」で「哲っちゃんのブックナビ!」をやっているおじさんとしてしか私が知らなかった筑摩書房の松田哲夫)、近年では『老人力』というベストセラーまで書いてしまう人なのだから私のような凡人には理解不能な発想をするのである。これはそのまま赤瀬川原平による芸術論であり芸術家の視点から見た日本論でもある。

 筆者はある日草月流(これは生花ですかね)三代目家元であり映画監督でもある勅使河原宏(1927-2001)から映画『利休』の脚本を依頼される。

「もしこれが逆の立場で、私が勅使河原の位置にいて赤瀬川に依頼するだろうかと考えて、その大胆さに驚いたのだ。私にはできないのではないか。これは負けたと思った。先を越された感じである。」「しかし私も前衛である。」(p50)と筆者はこの依頼を引き受ける。

 そして原作の野上弥生子『秀吉と利休』(1964)を読む前に、学習マンガを読んで歴史の基礎知識を得るための勉強を始める。このあたりどのあたりまでホントウなのかはよくわからないが、著者の筆は利休からどんどん離れていくようでまた利休に戻る、楕円軌道のような道筋をたどる。その利休を横目にみながらの思考の旅とでも言うべきものがこの本なのだが、この旅自体が実は言語化できない芸術について言葉で語るのであるからこういうつかず離れずの方法しかないわけだ、と凡人の私は納得する。いやでも納得してしまう。

 でも著者はあとがきでヘンなことを書いているぞ。

 幼女連続誘拐殺人事件が顕在化していたころ、「私の場合のショックは、その犯罪の背景にちらっと感じた、かつての前衛芸術の余波というか、その残滓のようなものだ。」(p242)

 うーん、わかるようなわからないような・・・・。きっとわかっていないんだろうな。

 というわけで、秋の夜長を芸術について考えるのだ。

(ずるずる) あー。

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