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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
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2003090008 |
大塚英志 | キャラクター小説の作り方 | 2003 | 日本 | 講談社現代新書 |
評者:発起人 評価:7 読了日:2003/09/21 公開日:2003/09/21
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「キャラクター小説」は「文学」になりうるか?
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大塚英志(おおつか・えいじ、1958-)の名前を知ったのはつい最近のことだ。東浩紀 『動物化するポストモダン』(2001)の中でその著作が引用されていた。また清涼院流水 『ジョーカー』の講談社文庫版の解説を書いていた人でもある。しかし、おそらく大塚英志は『多重人格探偵サイコ』の原作者として最も知られているのかもしれない。昨日(9/20)の『王様のブランチ』(TBS系)の「本のコーナー」はコミックス特集であったが、この『・・・サイコ』がお薦め本のひとつとしてあげられていた。 さて、本書で言う「キャラクター小説」とは、「ライトノベルズ、ジュニア小説、ティーンズノベルズ、ジュヴナイル、ヤングアダルトなどと呼ばれていつつ、もう一つ「総称」が定まらない小説ジャンル」であり、「具体的には「スニーカー文庫」とか「電撃文庫」とか「コバルト文庫」とか、アニメコミックふうのカバーで刊行される文庫本の小説」(p305)のことである。「本書は、基本的にはそのような小説を書くことを目指す人々への入門書として書かれて」(同)いる。 私は別に「キャラクター小説」を書きたいと思っているわけでは無い。実は読んだことも無い。今日、本屋さんに行ってみると、この分野のコーナーには無精髭を生やし分厚い眼鏡をかけ、「おい、風呂入れよ〜!」と思わずつぶやいてしまった(おそらく)十代のガ、いやお子様が異臭を放ちながらなんか読み耽っていたので、すぐ退散した。ああ、私はもう「キャラクター小説」を買う機会を逸してしまったのだろうか。 脱線したが、つまり私はこの本の想定している読者とは言いがたい。しかし、同時にこの本はかなり真剣に「キャラクター小説」と「文学」の関係について論じているのだ。著者も「一番新しい文学入門書であり、本気の文芸批評である・・」(p306)と、けっこうな自負である。 つまりこの本を、第一の「実用書」としての側面と、第二の「文芸批評」としての側面と分けて考えると、第一の側面は私にはたいした感想は無い。へぇ、なるほど、こういう世界があるんだね。コミックスなんかは桁違いの売れ行きだからね、フツーの小説に比べるとね。「キャラクター小説」も読んでみようかな、でもモトになっているコミックスやアニメも知らないといけないかな、ふんふん♪というわけで、今日、本屋さんに行ってみると、この分野のコーナーには無精髭を生やし分厚い眼鏡をかけ、・・・あー、悪循環だ。 まあね、偏見かもしれないけど、この「分野」、なんというかちっちゃい子供がアニメとかゲームに出てくる「キャラ」を自由にいたずら書きしてお話を作ったりしているのと同じじゃないか?それがいつのまにか大人になってしまい、ビジネスにもなり、媒体を超えて増殖している。こちらのほうはいい循環ですね。しかし、有体に言うと、こんなの文学じゃ無いっ、と心のどこかで軽蔑してるんですね、私。うーん、それではいかん、偏見はいかんというわけで、今日、本屋さんに行ってみると・・・。 それでは文芸批評としてはどうか?これはなかなかおもしろいと思った。田山花袋の『蒲団』を例にとって、日本の近代文学が言文一致とともに「仮構の私」というものを作り上げた。「私」という存在自体が実は「キャラクター」であって、問題なのはその後の「文学」がその事実に無自覚であった。そうであるならば「キャラクター小説」もいっそ「文学」になってしまえ・・・。 たしかに、近代文学における「私」の仮構性というのは肯ける指摘だ。しかしいったい「キャラクター小説」の書き手や編集者たちに大塚の挑発に応じる気概があるのか?そのためには私としてはこの分野の本を読んでみなきゃいかんな、うんうん、というわけで、今日、本屋さんに行ってみると・・・。 |