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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003090002

東浩紀 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 2001 日本 講談社現代新書

評者:発起人    評価:8    読了日:2003/09/07    公開日:2003/09/07

「オタク」は「動物化」していく人間の最前列にいるのか?

 

 1971年生まれの批評家、東浩紀(あずま・ひろき)が「オタク系文化」を分析し、それを通じて「私たちの社会とはどのような社会なのか、少し真剣に考えて見ること」(p12)を意図した本。

 まず、実際に「オタク系文化」にあんまりというかほとんど触れていなかった私としては、それがいったいどういうものなのかという概観的な知識を与えてくれた。たとえば断片的に見聞きする『キャラ萌え』とはいったい何なのか?それは「原作の物語とは無関係に、その断片であるイラストや設定だけが単独で消費され、その断片に向けて消費者が自分で勝手に感情移入を強めていく、という別のタイプの消費行動」(p58)であり、具体的に『デ・ジ・キャラット』というキャラを例に挙げて解説してくれる。(お父さん、よくわからない場合はこの本を読もうね!)

 しかし、この本は単に「オタク系文化」の紹介本ではない。「オタク系文化」を一般的な哲学や思想の文脈において解説しようと努力しているのだ。つまり「オタク系」から「外の社会」への通訳だ。

 どうしてそういうことが可能だと著者は考えているのか?「オタク系文化」が日本的な特質を持ちながらも同時に世界共通の「ポストモダン社会」の特徴を備えているからである。そして著者が説明のために提起しているモデルは、たとえば「大きな物語の崩壊」に対応した「小さな物語」への耽溺、「データベース消費」、「大きな非物語」であり、フランスの哲学者コジェーヴの概念を借りた「動物化」というキーワードである。

 ということは、「オタク」は現代社会のもっとも先端的な状況へ対応しようという人間の反応であるということになるのだろうか?著者の展開する議論はたしかにかなり説得力があるように思える。

 でもそもそもそんなに簡単に(たかだか数十年の話である)「大きな物語の崩壊」とか「歴史の終焉」とか言い切っちゃっていいのか?実際には新しい歴史の段階を画する概念装置を手を変え品を変え生み出しては捨てている(=消費している)だけではないのかなどと私は思ったりもするのだ。(浅田彰に代表される八十年代の「ポストモダニズム」と「ポストモダン」とは違うものなのだという指摘はよくわかったけどね。)

 だから、私はこの「オタク系文化」がそのように深い根拠を持ったものであるかどうかということについては留保して、「筆者の知る限り、その変化にもっとも敏感に反応し、もっとも根底的に小説の書き方を変えてしまった作家」(p83)、清涼院流水の本でも読んで考え続けることにしたい。(「ギャルゲー」を始めたりしたら怖いしね・・・)


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