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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
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2003060016 |
司馬遼太郎 | 街道をゆく 2 韓のくに紀行 | 1972 | 日本 | 朝日文庫 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2003/06/25 公開日:2003/06/25
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「国家という面倒なもの」の無い時代への憧憬
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この『街道をゆく』シリーズの2冊目は、海を渡って韓国である。旅は1971年に行われたらしい。どうして韓国に行くのか? 「私は、日本人の先祖の国にゆくのだ、ということを言おうとおもったが、それはどうも雑な感じもして、まあ古いころ、それも飛びきり古いむかしむかしにですね、たとえば日本とか朝鮮とかいった国名もなにもないほど古いころに、朝鮮地域の人間も日本地域の人間もたがいに一つだったとそのころは思っていたでしょうね、ことばも方言のちがい程度のちがいはあるにしても、大声で喋りあうと通じたでしょう。そういう大昔の気分を、韓国の農村などに行って、もし味わえればとおもって、行くんです・・」(p10)と旅行のアレンジを頼んだ韓国のミス・チァ(車)に司馬遼太郎は答えている。しかし、ミス・チャはこれに答えてもう一度「ゴウヘイ=合併」したいのかと本気で問い返す。 つまり、それほどすくなくとも1971年当時の日韓関係は過去の関係を引きずっていたと言える。(北朝鮮との関係では拉致問題や核開発問題もあってその当時より悪化しているかもしれないが・・・) 「日本人の祖形」を「救い出す」ためには司馬遼太郎は韓国に渡らざるをえなかったのだ。「ウラル=アルタイ語族の末裔」として「こんにち文明国をつくっているのは日本と韓国もしくは朝鮮しかな」(p14)いという歴史認識、そして「私がうまれて住んでいる町が大阪であること」(p15)も「多少の関係」があるかもしれないと著者は述べている。大阪はもともと百済からの移住者が拓いたところであり、「日本でもっとも在日韓国人・朝鮮人の人口の多いところ」(p15)でもある。 いやそれよりも司馬遼太郎は「政治」とか「国家」があまり好きではないのだと私は思う。「中世以来国家というこの対外的拒絶反応のみがつよい存在が人間を支配するようになってから、人間どもの世界意識がゆがみ、とくに東アジアにあっては朝鮮と日本が妙なものになったが、国家という面倒なものがないにひとしかった古代を、われわれは・・・懐かしまざるをえない。」(p17)もちろん、そのような感情で現実の政治を考えることができないことは司馬遼太郎は百も承知である。ゆえにこそ、そのような過ぎ去った時の跡を韓国への旅でも求めたのではないかと思う。 日本と朝鮮半島、東アジアとの近代以前の関わりについて、またどうして多くの韓国人が反日的な感情を(そして逆の感情も)持っている(いた?)のか、事実と歴史と豊かな想像力で説得力のある視点を提供してくれる本でもある。 |