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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
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2003060005 |
マリオ・バルガス=リョサ |
緑の家 | 1966 | スペイン(ペルー) | 新潮文庫 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2003/06/11 公開日:2003/06/11
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前衛的手法を駆使したペルー版大河ドラマ?!
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ペルーの作家、バルガス=リョサ(1936-)の長編小説。初版はスペインの出版社から刊行されたらしい。 いっとき、ラテン・アメリカの作家が日本でもブームになったことがあった。もはや新しいタイプの小説は書かれないのではないかという閉塞感が漂っていた時期にラテン・アメリカ出身の小説家たちの作品が新鮮な感覚で受け止められたのだと思う。バルガス=リョサはそうした世代の旗手的存在だ。(日本でも有名なフジモリ前大統領と1989年の大統領選で争って敗れた経験もあるそうだ。) どこが新しかったのだろう?この『緑の家』に関して言えば、まずその小説手法があげられる。多くの小説のように特定の場所での出来事を一定の時間的経過に沿って叙述していくという方法は最初から意図的に廃棄されている。また、特定の登場人物や作者の視点・意識に沿って叙述していくという方法も採用されていない。時間・空間の単一性とでも言うべき原則がこの小説世界では通用しない。だから、読者はまったく油断ができない。死んだと思っていた登場人物がなんの説明もなく生き返ってすぐに話し出す(=叙述の順序が時間や場所の拘束を受けていない)のだ。 かと言って、ひとつひとつの文章や場面の意味が取れないというわけではなく、文章はむしろ写実的である。いったん書かれた小説の原稿を意図的にバラバラにして、シャッフルして綴じ直した感じと言えばいいのだろうか。しかし、その綴じ直し作業自体に作者の仕掛けた「罠」が多数存在するのは言うまでもない。 それでは、こうした技法を別にすればこの小説のおもしろさはどこにあるのだろう?ペルーの砂漠の中にある町、ピウラとその近郊にある『緑の家』と呼ばれる娼家、アマゾンへの入り口的な位置にある小さな町サンタ・マリーア・デ・ニエバとそこにある修道院・治安警備隊、そしてインディオたちが住み白人たちと交易を行う、アマゾンやその支流にある集落や島。登場人物たちは欲望に突き動かされ、社会的・経済的・宗教的動機に促されて、生き、戦い、愛し、歌い、繁殖し、死んでいく。ピウラに降り注ぐ細かい砂、大河の流れ、繁殖するジャングルの植物たちがこうした人間たちの営みをやがては埋め尽くし、押し流し消してしまうのだ。個人の記憶はもとより伝説や物語さえ今となってははっきりしない。 うーん、これは大河ドラマだよ、ペルー版の・・・。だからおもしろいんだ、と一応の結論を出しておく。(♪あー、あー、川の流れのよーにぃ♪) |