感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003060004

中山元

フーコー入門 1996 日本 ちくま新書

評者:発起人    評価:8    読了日:2003/06/09    公開日:2003/06/10

常識を疑う戦略兵器としてのフーコー

 

  崩れかけている未読の本の山の中に、フーコーがある。『狂気の歴史』と『監獄の誕生』である。あっ、『精神疾患とパーソナリティ』もある!

 数年前から哲学・現代思想関係の本を間歇的に読み始めているが、ミシェル・フーコーの名前はさまざまなところで目にする名前だった。でもいきなりフーコーの著作を読むのはキツイなあ・・・と思って手に取ったのがこの本。私の場合いろいろな「入門」書を読んだのだが、門に入るか入らないかのところで挫折、あるいは興味・関心が別に移ってまた再度「入門」し直すということも多かった。

 さて、フーコーである。この本を書いた中山元という人は翻訳家で翻訳以外ではこの本がデビュー作だそうである。1949年生まれ。

 フーコーを読んだことが無いのに『フーコー入門』について感想を書くというのはなかなかつらい。いわば書評の書評のようなものだ。そういう意味ではこの本を読んでフーコーを読んでみようと思ったかどうかということがひとつの基準になるはず・・・。この点では、崩れかけの本の山からフーコーを探し出させ、パラパラと埃を払わせたというだけでこの本は成功であったと言える。

 さて、それではどのような点で(中山元を通じた)フーコーは私を引きつけたのか?

@ 精神医学・心理学そして医学について

「狂気を<治療>するという医学的な行為が、その罪を<罰する>という道徳的な行為を含むようになったのである」(p044)。「精神医学が科学となったから狂気が疾患として認識されたのではなく、狂気が「精神の病」として位置づけられたからこそ、精神医学と心理学が可能になった」(p052)「心理学と精神医学は、・・・学問の対象が同時にその主体であるために、厳密な科学性に到達することができない・・・」(p054)「病人が分裂病的ふるまいをするのは、社会が分裂病的だからなのである。」(p054)「医学は、健康な生活を送るための指針を提供するだけでなく、個人と社会の関係を、精神と肉体の両面において指導する役割を与えられたのである。社会や民族の健康は、正常性と異常性という医学的な概念の両極性において判断されるようになる」(p060)「国家と医学は、この正常性の確保と異常性の排除という点で手を結ぶ。」(p060)

A 権力とは何か

「フーコーはこれまでの権力論を批判する−これまで権力は「排除する」「抑圧する」「隠蔽する」「取り締まる」などの否定的な用語で考えられてきたが、権力は主体の内部から、現実的なものを生み出している力として理解する必要があるのではないか。」(p136)「フーコーの権力の理論の重要な特徴は、自分たちの生活する現場で、他者との間に生じている権力関係を作り変えていかない限り、自分たちの社会と生活を変える方法はないことを教えていることである。」(p138)「<自由な社会>が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、精神を監視する大きな<眼>を魂の内部に埋め込まれた主体である、という逆説のもつ意味が大きい。」(p147)

B 理性の逆説

「自由をなによりも愛していたルソーの思想に依拠しながら、自由、平等、友愛という理念によって始まったはずのフランス革命は、「真理」に従わない者を抹殺するというテロルに終わった。民主主義と平和を守るはずの第二次世界大戦は、広島と長崎の原爆で終結し、人間の自由と平等を目標としたはずのマルクス主義の思想に依拠したソ連と東欧諸国では、全土が収容所列島と化した。」(p172)「「大衆の虐殺と個人の管理は、すべての近代社会の根深い二つの特徴」」(p174)

 うーん、それでは出口はどこにある?フーコーを直接読むしかないじゃないか、とりあえずは、ね。


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