感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003060003

村上龍

すべての男は消耗品である 1987 日本 角川文庫

評者:発起人    評価:4    読了日:2003/06/08    公開日:2003/06/09

ゆえに村上龍も消耗品である?

 

  本書は村上龍が雑誌『ザ・ベストMAGAZINE』に連載した「エッセイ」を一冊にまとめたものである。この雑誌、今でもあるかどうか知らないが、当時はかなり過激なヌードグラビアを売りにしていたと記憶している。その中で村上龍が文章を書いていてもいったいどれだけの読者が読んだかはわからない−「いやほらヌードはどうでもいいんだけどさぁ、作家の村上龍のエッセイが載ってるんだよ〜、芥川賞作家で映画監督もやってる人でね・・・」なんて(心の中であるいはこの雑誌を買ったことが見つかって)言い訳した人もいたんじゃないだろうか?この雑誌にとっては売上を伸ばすためにこの村上龍というブランドが必要だったのかもしれない。さて、そのおまけを集めて本にすると、村上龍というブランドを崇拝する人以外にとっては、とくに単行本刊行後16年も経って読んでみると・・・かなり、恥ずかしい思いがする。

 世の中かわったなあ!この頃はバブル絶頂期に向かっているまさに日本全国総浮かれ状態・・・だったと記憶している。村上龍はこの本ではほとんど論証無しに、命題を言い切ってしまう。曰く、「美醜、生まれ、育ち、運命、それらはすべて才能の一部だ」、「プラトニックラブがファシズムを呼び寄せる」等々、でもいいのか、別に読者は論文を読んでいるわけでも無いし、村上龍は作家としてデビューしたのだから・・・。でも問題はこの作家が言い切ってしまうほど単純ではなかった。

 村上龍を好きな人は「龍ってかわいい!」とか「その通りだよな」と思って読めばいいし、嫌いな人は読まなければいい。どっちでもない人(私はそう)には・・・・うーん私はお薦めできない。どうしてか?やっぱり読んでいて恥ずかしくなるもん!どんなところが?

 たとえば、

「今、ローマのグランドホテル二三六号室でこれを書いている。

 前回は確か、モンテカルロで書いた。

 その前はニューヨークじゃなかったっけ?」(p182)とか、

「 モナコから少しニース寄りにある、由緒正しい、ル・カップ・エステルというホテルの、一泊六万円の部屋でこれを書いている。」(p166)とか・・・・。

 要するに自己を自己以外のもの、たとえばブランド(その際たるものは海外)や、通貨価値で権威付けしている文章が、とにかく原稿用紙を埋めなくてはという事情があるにせよ、鼻について仕方がない。こういう態度は80年代の日本人そのものであったのかもしれないのだが・・・。

 角川文庫版の解説で山田詠美が書いているが、「村上龍は努力の人なのではないだろうか」というのはよくわかる。でもいろいろなことをお勉強して(テニス、サッカー、キューバ音楽、金融問題、教育問題)、その解説者になってしまったような感のある村上龍は自分の作品もまた消耗品になっていくことをよく理解していたのかもしれない。


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