感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社

2003060002

なだいなだ

民族という名の宗教 1992 日本 岩波新書

評者:発起人    評価:6    読了日:2003/06/03    公開日:2003/06/03

左翼「知識人」の繰言か?社会主義は「リサイクル」できるのか?

 

  発起人の精神科医シリーズ第五弾!でもこの本は別に精神医学のことについて述べているわけではなかった。

 冷戦が資本主義陣営の勝利のうちに終了し、ソ連・東欧の社会主義圏が崩壊し、元社会主義のユーゴスラヴィアで内戦が行われていた1991年の「桜のさくころ」、雑誌編集者のA君(35歳)が作者のところを訪れ、二人の会話を作者が書きとめたとという体裁をとっている。(このA君は同じ作者の『権威と権力』で対話相手を務めた、「あのA君」だそうだが、私はこの本を読んでいない。)

 社会主義の崩壊を目の当りにして「無力感」を感じているA君に対して、作者は「社会主義もリサイクルして使えないものだろうか」(p6)といい、生物としての人類の歴史からさかのぼって国家主義、民族主義、社会主義の起源やその限界、意義などを説き明かしていく。私にとってはおもしろい話(その圧巻はユダヤ人の歴史)もあったが、全体としては社会主義のリサイクルという当初の問いにうまく答えきれていないという感想を持った。

 とりわけこの本でほとんど触れられていないのは社会主義を名乗る政権の多くで大規模な政治的殺戮、人権侵害が日常化していたという事実である。このことに対する著者の説明が無い限り、「リサイクル」するもなにも、もともと社会主義にはそういう致命的な毒が含まれてるんじゃないのかという当然の問いを意識的に避けてるんじゃないかと考えられても仕方が無い。

 さらにこの著者が目指しているという「思想を受け取った人たちの方に身を寄せて考える」(p208)という自負も「大衆」を高みから見下ろす鼻持ちならない「知識人」の態度と通じるものがあるように感じられる。「A君」に対して「ぼく」(=著者)が学校教師のように対話していくというこの本の形式そのものがそのような感じを抱かせるのかもしれないが・・・。

 にもかかわらず、日ごろ考えない歴史的な視点(複数)を与えてくれたという点で6点!


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