エデンのそのまんま東 − 発起人の日記 23 (2005年2月)
2月27日(日) トップ25作家
いつの間にか、感想文を掲載している作家(著者)の数が200人を超えていた。本日現在で、201人の作家の248作品についての感想文を掲載している。私の読書傾向がどちらかというと広く浅くで、あまり一人の作家に熱中して読むことをしないからかもしれない。あえて言うならスペシャリストよりジェネラリストか。逆に言えば焦点が合っていないということである。
実は201作家のうち、上位25作家で感想文へのアクセス数は50%を超えている。今日はその上位25作家を一挙ご紹介しよう:
山崎豊子 ヘミングウェイ 金原ひとみ なかにし礼 椎名誠 司馬遼太郎 養老孟司 石田衣良 太宰治 綿矢りさ 浅田次郎 清涼院流水 舞城王太郎 村上龍 ワトソン 吉村正和 吉村萬壱 横山秀夫 シェイクスピア フォークナー 川端康成 宮部みゆき 上田和夫 ギャリソン 村上春樹
以上、「本の虫クラブ」の人気25作家のご紹介でした。
2月26日(土) きしょい - 問題外な日本語 3
5. 「きしょい」
これは「気色悪い」という関西地方の言い方が短縮されたものであるらしい。この日本語が問題なのは、「気色良い」を省略する場合もやっぱり「きしょい」になってしまわないかと思うからでである。論理的に言えばね。
「きもい」(気持ち悪い)という表現も同様である。「気持ち良い」も略すと「きもい」になってしまわないか。
それなのになぜ悪いときばかりを略すのか?そちらのほうがより悪い感じが出るからか?
「気持ち悪い」が「可愛い」というアンビバレントな感情を表す場合は「きもかわいい」というらしい。
「うざったい」/「うざい」はなかなかいい日本語だと思う私なのに、こちらの「きもい」/「きしょい」系には嫌悪感を覚えてしまうのは、前者は自分で使うのに後者は自分に対して使われていると思っているからか?
さて読書はナボコフの『ロリータ』(1955)を読み始めた。
2月23日(水) どっちも負けるな〜っ!
ライブドア対フジサンケイグループの企業支配・統治をめぐる争い、だんだんおもしろくなってきました!
今日ニッポン放送が新規株引受権をフジテレビに引き受けてもらうことを発表、つまりフジテレビの子会社になることを選択した。おそらく勝負は法廷に持ち込まれるだろうといわれている。
あるいはライブドアは途中で退場し、買戻しで妥協をはかるか?これがもともとのライブドアの狙い(あるいはコンティンジェンシー・プランというやつ?)だったのかもしれない。
自由で公正な市場という観点から言えば、単に商品やサービスの市場だけではなく、人的資源と企業統治に関する市場がどれだけ機能するかということが日本資本主義にとってもっとも重要なことであるハズ。日本が見習ってきた米国では敵対的買収技術もそれに対抗する技術も、実例も、判例も、法律も腐るほどある。
そういう意味で、UFJをめぐるMTFGと三井住友の争いのようにいい加減なところでやめないで、ましてや「公共性」や「外資」などと別の次元の論理でもみ消したりしないで、徹底的にやってもらいたい!その過程でライブドアもフジサンケイグループもその戦略・論理・主張・ビジネスモデルが市場の判断を受けるのである。
がんばれ、がんばれ、ホリエモンっ!まけるな、まけるな、ヒエダっ!
2月22日(火) イケメン/セレブ - 問題外な日本語 2
何でも省略して言葉を合理的に使うというのは日本語の特長のひとつである。それについてとやかく言うつもりはない。問題は省略後の語感である。
3. 「イケメン」
多分、「イケる」「面」(男=menという説もあるようだが)の省略形であり、昔なら「美男」という言葉があった。(今でもあるか?)しかし、この「イケメン」の場合は女が男を呼ぶ場合に使っているようである。いや女性だけではなく、ゲイ志向の人たちも使っているようなのである。
男は顔じゃない、心だなどと言っても始まらないが、この「イケメン」、いかにも即物的・直截的すぎて言われるほうも決してうれしくないのである(私ではないが)。
4. 「セレブ」
これは有名人・著名人などを表す英語celebrityから来ていることは間違いないだろう。問題はその使い方である。ちょっとネットでこの言葉を検索してみると、「すごいことに・・・。」
たとえば、「さぁ、今日からあなたも鼻セレブ、肌セレブです」ってなんだこれはと思ったらそれぞれ「保温ティッシュ」と「トイレットロール」の商品名だった!
「ヌード撮影会」、「デリヘル」、「出張アートメーク」、「通販ショップ」、「ペンション」、「在宅ワーク」、「ブライダル」、「ダイエット」、「株日記」、「しわ取り・若返り術」・・・。これみんな前に「セレブ」とか「セレブな」という言葉がついている!
セレブの定義をしているサイトもあるぞ:「お金持ちで色々贅沢しちゃうときもあるけど、常に規則正しい生活をしている。何より健康美のためなら、時間とお金を惜しまないビューティフルピープル」だそうである。
この「セレブ」、女性向けの雑誌・テレビ番組中心に使われている言葉から始まってでどんどん意味が拡散してしまったのではないだろうか?「セレブな休日」(日本旅行)などと大手旅行代理店までが平気で使っている。
そして今日の結論的用例:「あなたもイケメンセレブをもてあそんでみませんか?」「イケメンセレブとデートがあたる」「イケメンセレブに告白される」・・・・。こっ、これはっ!というか、このウェブ広告からそもそも今日のネタを思いついたんだから感謝いたします。
しかし、どちらも一日も早く死語となってほしいと思うのは私だけだろうか。
2月21日(月) 問題外な日本語
『問題な日本語』という本がベストセラーになっているようだ。書店で一二度パラパラと見ただけだから、この本については何も言うことはない。
しかし自分のことは棚に上げて、私が「問題な日本語」であると日ごろから思っている言葉を収集して、ネタ切れの場合にご紹介していくことにしたい。まさにこれは言葉の同時代史である。
1. 「すごいことに」
用例:「・・・への書き込みがすごいことに。」「・・・研究会がすごいことに。」「私の企画が・・・すごいことに。」
これは所ジョージあたりが言い出したのか?どこが問題かはわからないが不快である。「すごいことになっている。」と最後までちゃんと言わないあいまいさが嫌なのだろう。それに「このサイトへのアクセスがすごいことに。」と言えないためか?オンライン和英辞典で引いてみると、"go crazy"となっている。
2. 「嫁」
用例:「嫁は私のことなど無視し続ける」
夫が自分の妻のことを指して使う場合である。これは昔からある用法なのだろうか?最近テレビで若手芸人などがよく使っているような気がする。嫁は女+家であるが、それでいいのだろうか?妻は夫のことを婿と呼ぶだろうか?♪あわてないでっ、お嫁サンバ♪という「マツケンサンバU」以前にヒットしたサンバ曲があった。食欲がないとき、疲れやすいときはよーめー酒。
というわけで、以下続編(があるかどうかは不明だが)を待て!
2月20日(日) ライブドアは勝てるか?
ライブドアによる日本放送株取得問題がヒートアップしている。日本放送・フジサンケイ側がゲームのルールを知らなかったということはある。その意味で堀江社長が言っていることは正しいし、どこが公共性だかわからない放送をしてきて今になって公共性だとか外資規制を持ち出すのは論点のすり替えである。
しかし、市場はあらゆる要素を考慮に入れて決まっていく(はずの)ものなので、こういうフジサンケイグループの論理的でない反論も、それに動かされているように見える政財界の遠慮がちの支援も織り込んで価格が決定されるハズである。そうなれば、ライブドア側は不利だろう。そこまで読めなかったのか。
すべてにヘッジを掛けているリーマン(サラリーマンじゃないよ。)が一枚上手だったということか。
ライブドアが知るべきなのは、金融技術だけで企業価値を上げる方法は自由な市場では存在しないはずだということである。もしそういうことがあればそれは市場の不完全性をついたということなり、二度目は使えない手を使ったということである。
またライブドアの唱える「インターネットと放送の融合」というお題目が具体化されているとは言いがたい。競馬や球団、金融などこの会社がやろうとしてきたことに一貫性・戦略性が見えず、規制・ルールの隙間をつく奇襲型企業としてしか大多数に受け取られない限りはこの賭けでの勝利は難しいのではないか。
他人事ではあり、慣れないテーマではあるが、一言書いておく。さてどうなるか。
2月19日(土) 「ごくせん」vs「火の粉」
今日は午後9時から、雫井脩介(しずくい・しゅうすけ)の傑作『火の粉』(2003)原作のドラマが放映されるらしいが、うーん、残念、その時間帯は「ごくせん」がある。録画してまで見ようとは思わないからなあ。
だがこのテレビドラマ化が契機となって雫井脩介は飛躍するかもしれない。私はこの作品しか読んでいないが、さらにおもしろい作品を量産してもらいたい。
さて私の読書は、ジェフリー・アーチャーの『ロスノフスキ家の娘』(1982)。感想文は近日公開予定。
2月18日(金) 雪の東京
日付はすでに変わっています。19日です。東京地方は雪が積もっています。というわけで私も寝ることといたします。
2月15日(火) 今後の読書予定など
とにかく読んでも読んでも世の中の本はなくならない。
今読んでいるジョン・グリシャムの『評決のとき』(1989)を読み終わったら何を読もうかなどと考えながら読んでいる。この作家は以前、『法律事務所』(1991)と『ペリカン文書』(1992)を読んでずいぶん感心したのを覚えている。
ジェフリー・アーチャー、渡辺淳一、大岡昇平、川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、太宰治等々かつてわが『百人館』に名を連ねていた作家の作品で積まれている本もたくさんある。しかし、これらの言わばビッグ・ネームだけでは面白くないのであまり読む人が少ない作家の作品ももっと読んでみたいのである。
また私が今まで読んだことのない作家たちの本も私を待っている。
というわけで、こんなことを書いている暇はないのである。
2月14日(月) 読者アンケート
本を買うと読者アンケートの葉書がついていることがある。感想を書く欄とともに、「この本をなにでお知りになりましたか?」とか「お買い求めの動機をお聞かせください」とか「最近、読んで特におもしろかった本をお書き下さい。」だとか「定期購読新聞や雑誌をお教えください。」等々。そして、住所・電話番号・名前・職業・eメールアドレスなどを書かせる類のものである。
ほとんどの人がこのようなアンケートは無視していると思う。とすればこのような葉書はいったい何の役に立っているのだろうか?出版社の編集部がそんなに信頼できるものだとは思えないし、悪用されないという保証はない。あまりにもナイーヴすぎるのではないか?なにしろ年賀葉書の少女の写真を集めて、ストーカー行為をするような奴がいる時代である。名前や住所を書かないで出す人はけっこういるかもしれないが・・・。
2月13日(日) ご近所の本屋さんに生き残る道はあるのか?
最近では個人(家族)経営の本屋さんというのは、ほかの個人経営の商店と同じくあまり羽振りがよくないように見える。書店のチェーン化、大型化が進行して小さな町の本屋さんは苦しいのではないか。
昔は雑誌などをなじみの本屋さんを通じて取り寄せるということが一般的だったが、今ではどうだろうか?私は小学生・中学生のころは近所の本屋で立読みをして時間をつぶすことが多かったが、そうした本屋のおやじ(おばさんでもいいが)は本というものを愛しているがゆえにか、単に万引き防止のためかあるいは青少年の非行化を防ぐという親心(おせっかい)からか、立読みをしている私の前の本にはたきをかけたりしていたものである。
しかし今や書店は大型化するだけではなく、オンライン書店での注文も増えている。いろいろと個性化をはからなければ、品揃えやサービスという点では太刀打ちできない。いやそれどころか、個性化といってもアマゾン1社が機能していれば限界がある。
それにいちいち本屋のおやじ(おばさんでもいいが)に顔を覚えられて怪しい本(じゃなくてもいいが)を読んでいたりするのを知られるのも鬱陶しい。(アマゾンのデータベースに保存されるのも鬱陶しいが・・・)
今すんでいるところの近所にもそういう本屋さんがあって、たまに買うとおやじ(おばさん)がコメントをつけてくれるときがある。
ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』という本を買ったときである。
「まあ、これは素敵な本ですよ〜。映画もいいわよ〜」などとその店のおばさんがお勧めの言葉つきでカバーをかけてくれた。(まだ読んでいないが・・・)
社員やバイトがマニュアル化されたサービスで対応してくれる大型店もいいが、このようにおせっかいだが、「本への愛情」が感じられる本屋さんもいいものである。しかし、これぐらいしかこうした「町の本屋さん」の存在意義が見つけられないのがさびしい。
多分こうした「町の本屋さん」のネットワークを作ることができれば少しは改善されるかもしれないが、ビジネスモデルとして成り立つのかという点ではさらに調査研究が必要であろう。そのような試みはすでにありそうな気は大いにするが、今ちょっと考えてみただけでも問題山積という感じはする。
2月12日(土) NHK対朝日新聞→レベルが低いぞっ!
NHKが日本ラグビー選手権大会の早稲田大学対トヨタ自動車の試合の中継をめぐって、昨日いったん生中継をしないと発表したが視聴者の声におされてか、今日になって撤回、結局生中継を行うというドタバタ劇を演じた。審判の着るジャージに「朝日新聞」のロゴがあることが日本ラグビー協会とNHKとの契約中の事前協議事項義務違反であったとNHK側は主張、協会側もこれは認めて謝罪している。ただしこれは広告主には効力が及ばないものと思われる。
大丈夫か?NHK?朝日新聞も「週刊新潮」の広告掲載をNHK番組改変問題(朝日新聞報道問題)に関する記事の見出しが広告掲載規定に違反するという理由で拒否したことがあったな、そういえば。
またNHKは昨日はどういうわけか去年の紅白の再放送をしていて、朝日新聞系列のTV朝日は音楽番組「Mステーション」の放送を延期したという。
なんか争いが超低レベルになってきてないか?どっちも勝負するならするで、報道という土俵で闘うべきである。
2月11日(金) ライブドア、放送・出版事業に進出/文藝春秋の新聞広告
世の中は北朝鮮の六カ国協議参加無期限停止&核兵器製造宣言や、サッカーW杯予選、ライブドアによる日本放送株取得とフジテレビとの対決、東京北区での温泉掘削現場での天然ガス噴出・炎上、吉野家牛丼の1日復活などいろいろなニュースがあるが、ライブドアが幻冬舎と組んで出版事業に進出という話には注目したい。
なんとなくお似合いのカップルという感じはする。だが、出版界ではやり手の幻冬舎も相手はインターネット関連企業というよりも金融技術(これには規制の隙間をつくということも含まれている)を活用することで拡大してきた会社である。大丈夫か?
ところで、「文藝春秋3月特別号」の新聞広告が昨日付けの「朝日新聞」(ほかの新聞は見ていない)に出ていた。1ページ以上のスペースを使って、「第132回芥川賞発表全文掲載 グランド・フィナーレ 阿部和重」とあり、作者の特大写真も載っている。
せっかく私が感想文では伏せていたのに、「女児誘拐事件を予見したのか−少女への偏愛を描く衝撃の問題作」などというネタバレコピーに、ご丁寧にも「奈良女児殺人事件を外側から事件として見たときの恐怖とは別の、人間の内側に寄り添って見る場合にしか経験できない、汗ばみ息苦しくなるような怖さがある。 高樹のぶこ」などという推薦文(選考委員の言葉?)まで載せている!
うーん、いかにも売らんかなで見苦しいぞ>文藝春秋!
さて、直木賞、芥川賞受賞作は読了したので、今読んでいるのは、ジョン・グリシャム 『評決のとき』(1989)である。
2月8日(火) 妖精、いや妖星伝
昨日から読み始めたのが、半村良(はんむら・りょう、1933-2002)の『妖星伝(一)鬼道の巻』(1975)。これは全7巻の大作であるが、とりあえずは第一巻を読んでみることにした。たしかこの作家は花村萬月や清水義範の師匠だったのでは?今気づいたが花村と半村、似てるな、名前が。ちょっとウェブで調べるとこの半村という筆名は、イーデス・ハンソンからきているという説があるそうな。ハンソン=半村だという。(イーデス・ハンソンがどういう人か知らない人は自分で調べてね。)
これを枕元に置いて、もう一冊はもちろん芥川賞受賞作、阿部和重の『グランド・フィナーレ』(2005)を読まずばなるまい。
2月6日(日) 座左の書
この屋根裏部屋でさっきからギターをつまびきながらぼんやりとしているが、何も出てこないので、このパソコンを置いている机の上の描写でもしよう。パソコンはノート型なのであまりスペースは取らないがかわりにガラクタ類が山積みである。ガラクタの描写をしてもつまらないので座右ではないが、机の左側に積んである本を見てみよう。
ジョエリ・タウンズリー・ロジャーズ『赤い右手』(1945)、わあっ、この本を取り上げたら埃が舞い上がった!この本はたしか「このミス」上位読破プロジェクトの一環として積んであるのである。
クロード・レヴィ=ストロース『構造人類学』(1958)。言わずと知れた構造主義の古典的文献らしいといういうことで買った本。ところでどうして、フランスやスペイン系の名前にはときどきこのイコールマークがついているのだろう?
マイケル・ムーア『アホでマヌケなアメリカ白人』(2001)。ブッシュの敵として、あるいはブッシュで儲けたと批判される映画監督として有名な人の書いた本。ちょっと旬を逸したかな。
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(1972)。これはポストモダンなる思想を知ろうとして買った本。浅田彰などのネタ本であるらしいともいうのだがここで鎮座している。
T・ジェファーソン・パーカー『サイレントジョー』(2001)。これも「このミス」関連。
V. E. フランクル『夜と霧』(1947)。うー、これぐらいはやはり読んでおこうと思って買ったが、あまりの重さ(テーマのだよ)に積まれてしまった本。
サラ・ウォーターズ『半身』(1999)。これも「このミス」上位本。この著者は二年連続「このミス」1位という高評価を得ているのだが・・・。
以上の本は私の机の左手前に積まれているものだが、左奥にもこれより高い本の堆積物がある。これはいずれまた別の機会にご紹介したい。
2月5日(土) 本日の「仕入れ」
今日は本屋さんへ「仕入れ」に行ってきた。いろいろ迷ったあげく、次の4点を購入。
浅田次郎 『日輪の遺産』(1993)
阿部和重 『グランド・フィナーレ』(2005)
森有正 『生きることと考えること』(1970)
ユベール・マンガレリ 『おわりの雪』(2000)
近日感想文公開なるか。それとも本の山の中に埋もれてしまうのか。
2月4日(金) 立春
昨日が節分だったから今日は立春ということになる。寒さは厳しいが、日差しが明るくなってきているのが一日一日実感できる。
世の中では相変わらずいろいろな事件が起きているが、ほとんどがうんざりさせるようなものである。埼玉での事件のように近所の用水路にお金でも落ちていないかなあなんて思っていると、実は埼玉のお金は盗んだものだったという。怖くなって捨てたという。盗んだ相手が怖かったのかなどと想像してしまうのであるが、これは小説の読みすぎか?
通貨・紙幣偽造やキャッシュカードなどの情報盗難が深刻になっている。「振り込め詐欺」やインターネットから情報を盗む「フィッシング詐欺」も深刻のようである。「偽る」、「欺く」、「騙す」などという漢字が今のところ「今年の漢字」の有力候補としてロケット・スタートを切ったか。
2月3日(木) サイトの充実
このサイト、つらつら眺めてみると最近は少しマンネリかなと思うことがある。少しでもいいものにしていきたいので、まずは『発起人の百人館』の内容の充実をはかりたい。百人を二百人にするとかじゃなくてね。一気にじゃなくじょじょに気がついたら変わっていたということにしたい。
さて、読書はジェフリー・ディーヴァーの『コフィン・ダンサー』(1998)に突入!乞うご期待!
2月2日(水) 枠を作成
寒いねえ。温泉行きたいね。