竜馬がゆく年くる年 − 発起人の日記 22 (2005年1月)
1月30日(日) 「はずれ」と「あたり」
自分で書いた感想文も後で読み返して見ると、あー、全然違うなあ、こんなこと書いて恥ずかしいなあと思うことが多い。また逆に、うんうん、これはわれながらなかなか鋭い視点ではないかとうぬぼれることもたまにはある。
一度掲載した感想文は明らかな誤字などを除いては修正しないのでこうした「はずれ」や「あたり」もそのままである。膨大な情報がデジタル化されて保存されつつある時代であるから、私のちっぽけな脳に宿ったものの一部もデータとして残っていくのであり、またまったく見知らぬ人がネットワークを介して読むことができるのである。そう考えるとなんだかすごいが、実際に今起きていることなのである。
1月29日(土) 報道機関と政治家の距離
昨日の続きである。
「権力の監視」を行うためには政治家や権力者の懐に深く入らないと報道できないでしょ、そのためにはいっしょに酒飲んだり、遊んだり、あるいは貸し借りを作っていかないとだめなんだよね、という有力な議論が存在する。あのNHKの海老沢前会長も政治部出身の記者だった。
そうしていっしょに高級な酒を飲みながら、政治家の自宅で「懇談」する、「オフレコ」の取材などというものもあるらしいのである。また記者から政治家に転身した人は枚挙にいとまがない。
そういう現状はたしかにある。
また自民党の気に入らない報道をすると、そういう偏向マスコミには幹部を出演させないなどという圧力を平気でかけるので、そうなるとNHKに限らず視聴率命のテレビ局は真っ青である。
さて、それではそういう状況で報道機関はどうすればいいのか。有権者からの報道機関への信頼、また民主主義や言論の自由への合意が存在しないと難しいかもしれないね。そしてそれこそがこの国で急速に失われつつあるものである。
だからこそ、がんばれよっ!私は「ごくせん」を見るから・・・。
1月28日(金) NHKと朝日新聞
NHKでは海老沢前会長辞任後の顧問就任に批判が集中、本日顧問を辞退したという。これはあらかじめ予想がついたことのはずなのに、NHKの判断は甘すぎたね。
NHK対朝日新聞のバトルはどうなっているのか不明だが、朝日新聞は法廷闘争も辞さずなんてことを言っていないで報道という土俵で勝負するべきである。それができないのなら、これも朝日新聞側の判断が甘かったということになる。
NHKも朝日新聞も、傲慢でエリート意識の塊みたいな人たちが少なくない。給料も非常に高い。(おまけに私的流用まで明らかになったのがNHKの不祥事だった。)
でもそんなことはみんな許してやるから、きちんと報道機関としての仕事をしてくれよ。そうでない限り、そんなところの商品を買う必要はないということになる。
「報道機関の仕事」というのは公正・中立とか、偏らないとかいうことにあるのではなく、「権力の監視」ということにあると私は考えている。社会的な強者と弱者が存在する世界で、「公平」に「偏らず」に報道してくださいと自民党の有力者に言われて「ごもっとも、ひとつ予算のほうはよろしく、わかっておりますから、先生」などという情景(以上イメージ)こそ、朝日新聞に言われるまでもなく、内部告発を受けるまでもなく、また「通常の業務」などと言ってないでNHKはみずから報道すべきであった。まあそんなことがNHKにできていれば問題はないのだが・・・。
朝日新聞は、取材相手は庶民じゃないんだから、録音テープがあったら公開すべき。それで訴えられたら本望でしょ。そこまでの覚悟がないんなら、最初からそんな脇の甘い報道をするな!あんたらのせいで誰が喜んでいるか頭のいい朝日の人たち、よくわかってるよね。
さて、感想文予告は、ジョン・ディクスン・カーの『帽子収集狂事件』(1933)でどうだ?
1月26日(水) 文学者の苦悩
すべてのものに寿命があるように本にも寿命がある。しかし中には数百年、数千年の時を生き残っているものもある。もちろん多くの場合そのままでは現代人には読めないので、いろいろなかたちでリメークされて生き残るのである。
しかし、物語・文学については、人類は有限の型(パターン)を変奏し続けているような気がする。あるいはこれらの型の組み合わせである。そうであるならば、現代の作家ほどこれら有限個数の物語の型を組み合わせて新しいものを作るという作業が困難になってくるはずである。すでに誰かがやっている可能性が高まるからである。
これが現代の文学者が一番悩むところではないかと推察する。
実際に私たちが読む本で、こっ、これはっ!見たことも聞いたこともないっ!と驚くような物語に出会うことは短い一生の間でさえ、すこし本が好きなら、だんだん減ってくる。何を読んでも、たとえば、ああこれはディケンズ風だとか、カフカ的だとか思うようになってくるのである。そうなると新人・若手・ベストセラー作家の作品ばかり読んでいないで、昔読んだ「名作」をもう一度じっくり読んだほうがいいかなどと考えるようになる。
これは老化現象か?人間の限界か?私個人の限界か?
1月25日(火) 「出版不況」に歯止めか?
出版科学研究所なるところの発表(を各紙の電子版が報道したもの)によれば、2004年度の書籍・雑誌販売額は2兆2428億円で前年比0.7%増と8年ぶりに上昇に転じたという。とくに「純愛」「韓流」ブームなどが寄与し、書籍は9429億円(前年比4.1%増)となったが、雑誌は1兆2998億円(1.7%減)で7年連続の減少。
だいたいドコモの売上の半分以下しか本を・・・あれっ?強烈な既視感!と思って、昨年の日記を見てみたら、あー、1月26日に同じネタで書いている!でもなんとか今年はプラスに転じてよかったね。
「韓流ブーム」を広めたNHKでは海老沢勝二会長が今日任期途中で辞任したが、これがほんとの活字(勝二)離れか?
1月24日(月) 当サイトでの直木賞・芥川賞受賞作品の感想文
直木賞を受賞した角田光代の『対岸の彼女』(2004)はいちおう買った。しかしはたして直木賞・芥川賞受賞作の感想文というのはこのサイトのアクセスアップに貢献しているのだろうか。
以下は、その「戦績」である:
<芥川賞受賞作> 11作品
モブ・ノリオ 『介護入門』(2004) 127位
金原ひとみ 『蛇にピアス』(2004) 2位
綿矢りさ 『蹴りたい背中』(2003) 11位
吉村萬壱 『ハリガネムシ』(2003) 13位
吉田修一 『パーク・ライフ』(2002) 172位
玄侑宗久 『中陰の花』(2001) 196位
堀江敏幸 『熊の敷石』(2001) 201位
玄月 『蔭の棲か』(2000) 164位
平野啓一郎 『日蝕』(1998) 118位
花村萬月 『ゲルマニウムの夜 王国記 T』(1998) 174位
目取真俊 『水滴』(1997) 186位
<直木賞受賞作> 10作品
奥田英朗 『空中ブランコ』(2004) 102位
熊谷達也 『邂逅の森』(2004) 217位
江國香織 『号泣する準備はできていた』(2003) 120位
石田衣良 『4TEEN フォーティーン』(2003) 22位
重松清 『ビタミンF』(2000) 64位
金城一紀 『GO』(2000) 48位
宮部みゆき 『理由』(1998) 31位
ねじめ正一 『高円寺純情商店街』(1989) 105位
連城三紀彦 『恋文』(1984) 158位
つかこうへい 『蒲田行進曲』(1981) 177位
ここでの順位は、「本の虫クラブ」での感想文へのアクセス数を掲載期間で割ったものの順位である。(総計で237感想文だから当然最下位は237位となる。)
こうして見ると、必ずしも賞を取ったから感想文へのアクセスが増えるというわけでもなさそうである。やはり検索エンジンでタイムリーに上位表示されるということが一番大切なようである。
1月23日(日) ゴリ押し爺さんじゃなく・・・。
このサイト、最近は世間の動向とのズレがしだいに大きくなっているのか、ついに本日付けの「アクセス数Top10」では、なんとバルザックの『ゴリオ爺さん』(1835)が首位となった。はっきりとした理由は不明であるが、やはりこのサイトのラインナップの狭さが根本的な理由であろう。
さて、最近あんまり翻訳ものを読んでいないことに気づいたので、枕頭の書の選択はさておき、とりあえず読み始めたのがジェフリー・ディーヴァーの『ボーン・コレクター』(1997)。感想文は近日公開予定!
1月21日(金) 枕頭の書
さて、ついに、私が読んだ本の中で最大・最重かもしれない小熊英二 『<民主>と<愛国>』(2002)を片付けたので枕頭の書をどうするか。
実は、スティーヴン・ピンカーの『心の仕組み』(1997)という本が先代の枕頭の書であり、この本、全三巻で下巻の途中まで読み進んでいたのである。ところが、途中で別に本の内容とは関係なく、突然読む気が失せてしまった。この本の下巻はまだ私の枕頭にある。
ところが、さらに先々代がまだ健在なのである。それはミシェル・フーコー『狂気の歴史』であり、この本をどうするか。たしかこの日記でもフーコーを読んでみたいなどと書いたような気がする。一時引退してもらうとするか。
それでは寝る前に何を読もうか。このようにいろいろ考えるのが楽しいのである。
1月19日(水) NHK対朝日新聞
NHKの番組変更問題は、異例の展開を見せている。NHK側は朝日新聞の報道を真っ向から否定する記者会見を行った。これに対して、朝日新聞側も再度反論記事を電子版に載せている。
NHK側は、「藪の中」で言った、言わないの水掛け論に持ち込むつもりか。あるいはNHKの言うように朝日新聞側の取材・報道に問題があったのか。
私としては断言できる材料を持たないが、NHK/朝日新聞に共通しているのは安倍自民党幹事長代理に放送前にNHK幹部が面会したということである。NHKはこれを「通常の業務」であると言っている。感覚が麻痺しているのではないか。
私は、平気で嘘をつく人物が地位の高低にかかわらずいるということを体験的に学んでいるから、このNHK元総局長が嘘をついていても驚かないし、朝日新聞側が取材をねじまげて報道していても驚かない。どちらの場合でも今回の問題が、さらに報道・言論の萎縮につながりはしないかと心配なだけである。
1月18日(火) 空っぽです
この日記のコーナー、私、発起人の本の感想文を公開しない日につけることをルールにしているが、どう何を考えても埃も出ない、という日がある。まあ私の場合は別にここに書かなくても誰に怒られるとかいうことはないのだが、新聞のコラムなどを担当している人はたいへんだね、とあらためて感心している。これが、これだけではないが、プロと素人の差である。
さて読書のほうは、笹山久三の『四万十川−あつよしの夏』(1988)という本を読んでいる。
あっ、忘れないようにメモ!昨日午後11時ごろから約1時間、このサイトへのアクセスがすべてタイム・アウト(時間切れ)で拒否されるという事態が発生。なぜだ?
1月17日(月) 阪神大震災10周年/DHS5万台突破!
10年前の今日、阪神大震災が発生した。多くの方々の命が奪われ、生活が破壊されたこと、そして同様の災害がいつおこっても同じような結果を生むであろう構造が根本的には変わっていないことは忘れてはいけない。
さて、きちんとした統計はないので推計だが、このサイトを一度でも訪れてくださった方々の数(いわゆるユニーク・ユーザー数)が、本日5万人を突破した模様。より正確にはサーバーの管理画面にあるDistinct Hosts Servedという項目が、現在のサーバーと古いサーバーの記録の合計で5万を超えたのである。約20ヶ月かかったことになる。
当初の皮算用ではすでに地球人口を超える数の人がこのサイトを訪れるはずだったのではあるが、ともかくひとつの節目であるから、ここに明記するとともに、訪れてくださった皆様に感謝の言葉を申し上げたい。
1月15日(土) テレビは見てしまう、本は読んでしまうということはない?
あー、今日は「ごくせん」を見てしまいました。この調子では、来週も見ることになるなあ。過去のいろいろな「学園もの」や「セーラー服と機関銃」のような親が極道という設定をふまえておもしろいドラマになっていると感心!しかしこれでは読書はどうなるのか?
「ごくせん」の前には題名は忘れたが、脳力(のうぢから)アップができるとかなんとかいうバラエティ番組も見ていた。この番組にはあの、『頭のいい人、悪い人の話し方』を書いた樋口裕一先生が登場!忠実に本の内容をなぞった番組作りで、この先生も本とまったく同じことをしゃべっていた。
テレビの力を再々・・・∞確認した一日でした。
1月14日(金) 自由を殺す、未必の故意か?
NHKの番組変更問題でいろいろと騒いでいるようだ。今日、NHKは朝日新聞の報道が真実でないとして抗議をしたという。まあ別にそんなにむきにならなくても、NHKが政治家に弱いってことはみんな知ってますから〜、ジャン♪
別に朝日新聞の肩持つわけでもないよ。朝日新聞に限らず、大新聞社はみんなテレビ局を持っていて、政府が許認可権を握っていることも周知の事実ですから〜、ジャン♪
しかしこのようなシニカルな見方をすることが、自由な言論に最後のとどめをさすことを容認することにつながっていくとも言える。自由を殺す、未必の故意か。それとも自由などというものはもはや脳死状態か?
国民にあまねくゆきわたる自由になんか意味はないし、実現できない、自分や家族だけが、あるいは企業活動だけが自由であればいいという考え方は成立するが、まあそんな考え方を肯定するようじゃ北朝鮮を笑ってられません。
1月13日(木) 芥川賞・直木賞決定!
芥川賞は阿部和重 「グランド・フィナーレ」(群像12月号)に、直木賞は角田光代 「対岸の彼女」(文藝春秋)に決定したようである。今回も私の予想ははずれるという予想がみごと的中したのである。こうなったら今後は100%予想をはずすという路線でいくか。
阿部和重は、実は『シンセミア』(2003)という長編が私の周りの本の山の中にあり、話題になったのも覚えているが、角田光代という作家は全然しらない。しかし今さっとGoogleなどで見てみると、どちらもかなりの実績があるようだ。前回芥川賞のモブ・ノリオがデビュー作即受賞、その後なんにも音沙汰なしというのとは違うようである。
さて今回はどうしようかな。買って読んでみようかな。やめておこうかな。おっと、そんなことより、やっと本日入手した『20世紀少年』の16巻と17巻を読まなきゃ!
1月12日(水) 第三の波か?−「本の虫クラブ」盛衰記
ここのように零細かつほぼ個人運営のサイトでも浮き沈みはあるようだ。今日はこのサイトを公開してから現在までの動きを振り返ってみたい。
2003年5月に公開してから、一進一退はあったが、当初はほぼ拡大基調が続いた(「バカの壁」時代)。この拡大基調は、明確な調整過程のないまま、11月ごろから人気テレビドラマ原作の感想文掲載と検索エンジン(とりわけGoogle)でのどういうわけかの上位表示もあり、第一の波を迎える。このピークが2004年1月から2月にかけてであった。この時代は「白い巨塔」景気とか、当時の芥川賞受賞作への人気の高まりをも含めて「巨塔/てるてる/蛇」バブルと呼ばれている。
ところが、この第一次高度成長期は同年3月ごろからかげりを見せはじめる。第一の波を支えていた二つの条件が消滅してしまったのである。テレビドラマは終わり、Googleでの上位表示もなぜ上位表示されたのかがわからないのと同じくどういうわけか終わってしまう。この低迷期は5月が谷であった(「青べか物語」不況)。この不況期にはまったく出口がないように思われた。
ところが、6月のはじめに、Yahoo!、そしてそれと同じ技術を使っているというMSNで突然、これも理由が私にははっきりしないまま本サイトの感想文のかなりが上位表示され、一挙に景気回復が実現した。さらに続く夏休み読書感想文バブルもあり、この第二の波は8月後半にピークに達する(「老人と海」景気)。
しかしさしもの猛暑も終わり秋風が吹き始めると、読書感想文バブルは崩壊し、Yahoo!/MSNにおける上位表示も新規公開感想文についてはいっこうに実現せず、なだらかな不況期を迎える(「蒼穹の昴」不況)。この不況期は10月に底をうった(いわゆる「フリーメイソン」の谷)と判断できる。
その後、なだらかな回復基調が続き、今年に入ってからは、Yahoo!/MSNにおいて昨年の8月ごろまでの感想文がかなり上位掲載された(それでも5ヶ月ぐらい遅れているが)ことが効果を発揮しつつあるのか、新たな拡大期に入りつつある兆候が見える。さて、これは単なる新年ご祝儀相場か、第三の波が来ているのか?
1月8日(土) スマトラ沖地震
は未曾有の被害をもたらした。この地震についても自然災害だから仕方がなかったと言うことはできない。被災国・地域が置かれている経済的・政治的な条件によって被害・救援・復興に大きな差が生まれている。たとえば日本並の観測・通報体制があったらもっと被害は少なかったかもしれない。グローバル化が人々を市場の一要素としてしか見ていないということがこのような格差を放置してきた結果である。
しかし同時にグローバル化(=市場経済化)はこのような大災害への復興支援を先進国政府・国際機関や有名人の課題とせざるを得ない。こういうときにケチであったり、知らんぷりをしているとその組織や個人の市場価値が低下するのである。言いすぎか?いやそれはグローバル化のプラスの側面のひとつである。広い意味での市場による監視機能が働いているのである。
たとえばの話だが、ビル・ゲイツMS会長がブッシュ大統領と同じ1万ドルしか寄付しなかったとしたら、そんな人物が創業した会社のソフトは使わないぞと思う人がたくさんいるだろう、それでは株価が下がってたいへんだということで、300万ドル寄付ということになったのである。ブッシュ大統領の場合は市場による監視は終わったばかり(米大統領選挙)なので、まあ1万ドルでもいいだろう、小泉も個人では寄付してるってきいてないからなという読みがあったはずである。
このように考えてくると、支援の拡がりの底流にあると推定されるコンセンサスは勇気づけられるものである。まだまだ不十分か?
1月7日(金) 大予想!芥川賞・直木賞
またまたやってきた芥川賞・直木賞選考会の季節。最終候補作が発表され、13日に最終選考があるという。過去2回の両賞については、この欄で予想をしてみたがうまくいかなかった。しかしそれにも懲りずに再挑戦することにしたい。
候補作は次の通りである:
▽芥川賞=阿部和重「グランド・フィナーレ」(群像12月号)、石黒達昌「目を閉じるまでの短かい間」(文学界12月号)、井村恭一「不在の姉」(文学界9月号)、白岩玄 「野ブタ。をプロデュース」(文芸冬号)、田口賢司「メロウ1983」(新潮8月号)、中島たい子「漢方小説」(すばる11月号)、山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな」(文芸冬号)
▽直木賞=伊坂幸太郎「グラスホッパー」(角川書店)、岩井三四二「十楽(じゅうらく)の夢」(文芸春秋)、角田光代「対岸の彼女」(同)、古処誠二「七月七日」(集英社)、福井晴敏「6(シックス)ステイン」(講談社)、本多孝好「真夜中の五分前」(新潮社)、山本兼一「火天(かてん)の城」(文芸春秋)
もちろんいつものように私は一作も読んでいない。読んでいないのにわかるのかという当然の疑問はあるだろうが、だからこそ見えてくるものもあるはずだ。
ここでじーっと、候補作を凝視する。ひらめいたっ!
芥川賞は、一人なら山崎ナオコーラ、もう一人選ばれるなら井村恭一でどうだ?前者は名前がすごい。後者はやはり「文学界」掲載作品ということで。
直木賞は、うーっ、一人なら伊坂幸太郎、もう一人いくなら福井晴敏だっ!この二人はほかの作品なら読んだことがあるので。
さて、私が今読んでいるのは、森見登美彦(もりみ・とみひこ、1979-)の『四畳半神話大系』(2005)。感想文は近日公開予定。
1月5日(水) 千里の道も一歩から
で、何事もとにかく動きはじめることが大切である。葉を落とした冬の樹はこの厳しい時期を耐え忍ぶことで次の芽吹きを可能にする。込みあった、縺れた関係が一瞬でほどけることもまれではない。山積する問題が何かのきっかけで一挙に解決することもある。
でもそのような励ましが意味を持たない場合がある。すでにもとにもどれない一線を踏み越えてしまった場合である。そのような場合は、自らがその責任を負わなければならないのである。
1月4日(火) 16巻はどこにある?
私と家族の一部の間で、大ブームを巻き起こしているのは、浦沢直樹の『二十世紀少年』である。お互いに買うのを譲り合いながら、15巻まで読んだ!最新刊は17巻である。しかし、この15と17をつなぐ、16巻がどこの本屋に行ってもないのである。大きな書店、オンライン書店から家族経営の小さな本屋さんまで、本屋があればそこに入り、16巻を捜すのだが、ないのである!
おお、まぼろしの16巻!おまえはいったいどこにいるのか?私はほとんど利用しないが、オークション・サイトやブック・オフにはあるのだろうか?でもやっぱり、あのビニールを破って、中に秘められたコミックスを手にするときの高揚感を味わいたいと思うのが本の虫のフェティシズムなのである。
16巻を置いてないような本屋は、絶交だ!?
1月2日(日) 記録のために
ここに書いておく。サーバー・トラブルで午前2時ごろから午前3時10分(現在)、当サイトへのアクセス、メール、更新のアップロード、すなわちすべての機能が停止している模様。もう寝る。
さて、現在午前10;40だが、サーバーは死んだままである。喝っ!と言ってみてもなおらないが・・・。
午前11:00過ぎ、やっと一部の機能を除いて回復の様子。
・・・というわけで、新年早々しまらないスタートとなったのである。だがもともとこの世界は予測が困難な、不確定なものであるという考えも有力である。これぐらいでふてくされていては仕方がないのである。現在午後11時20分前。
1月1日(土) 謹賀新年
新年のご挨拶を申し上げます。
今月の日記のタイトルは、『シイタケ食べた人々』、『オバQ正伝』、『珊瑚櫛』、『青空千夜一夜物語』、『西武沿線異状なし』、『スナック狩り』、『たそがれ清兵衛と瓢箪』、『夏の名残りの薔薇の名前』などの候補から厳選した結果です。お許しを!