堕紊血鋼怒 − 発起人の日記 16 (2004年7月)
7月31日(土) 7月も終わりである
とにかく暑かった。暑さのせいか、歳のせいか、記憶力が低下している。さっきちらっと見た「世界不思議発見」(TBS系)ではマルタ島がテーマであったのに、私はずっとシチリア島のことについてやっているものだと思い込んでいた。
記憶違いを子供に指摘され、妻にはホッとされる始末である。つまり、ぼけているのが子供では無く、私であって良かった!ということである。
フンッ、誰にだって思い違いはあるさ。小せえ、小さえぜよ!どいつもこいつもおまえらみんな馬鹿じゃ〜!(NHK「新選組」に登場する坂本龍馬の口調で)
7月30日(金) 当事者・利害関係者にとっては
のんびりとしたことは言ってられない、たいへんだがワクワクする事態なのだろう。
三菱東京とUFJが統合交渉を開始しようとしたら今度は三井住友がUFJに統合交渉申し入れだという。奇々怪々、魑魅魍魎の世界ではある。しかし、ただ単に規模が大きくなるだけでいいのか?恐竜が絶滅したのも、巨大になりすぎたからだという説だってあるのである(最近は旗色が悪い説だが)。
問題は、不良債権だとよく言われるが、不良債権とは何だと考えて見ると、銀行がお金を貸した先が商売のやり方が下手だったり、返す気がもともと無かったり、収入が途絶えたりしてお金を約束通り返してくれないということだよね。あるいは、もっとレベルの低い話では、銀行側が経済外のさまざまな理由から、もともと返る確率の低いところにも大盤振る舞いしてきたということだよね。
そしてその「処理」とは何かとまたまた考えてみると、もう返ってきそうに無いお金は、あきらめて当てにしないことにしよう、そういう風に帳簿をつけ直そうということだ。
つまり不良債権の「処理」とは、不良債権を発生させた、あるいは発生させている原因を除去するということとは別問題である。
「金融システムの安定」はたしかに大切かもしれないが、いわゆる「実体経済」や金融の世界でも金融業としての競争力が、国際化が進む世界で失われたということについてはどうなんだろう?改善しているのか?この改善が無い限り、単なる規模の拡大は限界があるような気がするぞ。
まあ、いいかっ!経済問題について私がここで何を書こうが、別に世の中に影響を与えることにはならないだろうし、私自身もよくわからない問題だからね。
だが、UFJにとっては高く身売りするチャンスだよ〜!三井住友と三菱東京を天秤にかけて、できるだけ有利な条件を引き出す、これが今のUFJ経営陣のいちばん大切な仕事だね。
あー、慣れない経済問題なんか書くんじゃなかった。
7月28日(水) お昼に食べた天丼が
胃にもたれている。機械油で揚げたてんぷらみたいだったなあ。大型台風が近づいているせいか、東京地方は入道雲は見られたが雨は降らない。明日は雨になるそうだが。
中島らもが死んだ(26日)。享年52歳。酔っ払って階段から落ち(16日未明)、脳挫傷などで、一度も意識を回復しないままだったという。そんなにたくさん読んではいないが、もうちょっと深いところまで到達して欲しかった作家であった。いや、これも中島らもらしい死に方か?(当サイトでの感想文は『人体模型の夜』(1991)を参照)
なんだか今年は若死にする作家が多いな。鷺沢萌(さぎさわ・めぐみ、1968-2004)と野沢尚(のざわ・ひさし、1960-2004)はいずれも自殺(どちらも読んだことないけど)。中島らもは生き方自体がゆっくりとした自殺のように感じさせるところがあった。こんなわずかな例で一般化することは慎まなければならないが、作家にとっては生き辛い世の中なのだろうか?
まあ私は、作家ではないし、頭痛がすればバファリンを飲んで、夏バテだと思えば天丼を食べて、汗をかいたと思えばペットボトルのお茶を飲んで、阪神が負けようが、仕事が停滞しようが、過ぎたことは変えられないが明日はひょっとしたら今日よりはうまくいくかもしれないと思っているので、自殺なんて考えもしないのである。酔っ払ったときには足を踏み外さないように、できるだけ階段のあるようなところでは飲まないようにしよう。
7月26日(月) ラッコの生活
今日、テレビでラッコの生態についてやっていた。NHKの「地球・ふしぎ大自然」だったっけ?
実は、私は昔からラッコが好きなのである。
余裕があれば、2,3頭飼いたいぐらいだ。しかし、ラッコは大食漢であり、貝や蟹、雲丹など値の張るものばかり食べ、なにより海が必要なので今のところ断念しているだけである。
この番組によるとラッコの祖先はイタチやカワウソの仲間で、5百万年前に海へ移住したそうだ。そのため海への適応が他の海に住む哺乳類の先輩たちほど洗練されていないということがあり、今のような独特の生き方をしているという。
ふーん。そうか。ところで私がラッコを好きになったきっかけは一冊の子供向けの本だったのだが、その題名が思い出せない。ラッコを主人公にしている本だが、今ちょっとGoogle様で調べてみてもわからなかった。あらすじも覚えていないのに・・・。うー、人生とは忘却なり。
7月25日(日) 一週間ぶりの日記
だが、もともとこの日記コーナーは、読書感想文を公開した日には書かないことにしている。先週は19日(月)から24日(土)まで6日連続で感想文を公開したということである。エッヘン!
一週間も経てば世の中も私個人もいろいろ変化があってよさそうなものであるが、そんなに変化があったという気がしない。先週はどんなニュースがあったか、私はどんなものを食べたか等々、一生懸命思い出さないと思い出せないのである。ということはたいした変化は無かったということか。
ただ、暑かったという記憶は残っている。鰻を食したのも覚えている。あとは本の感想文を6本、書き殴ったのはこのサイトに残っている。うーん、今ちょっと読み返すと文章が荒れているな。いつも荒れているが、特に破綻や欠陥が目立つような気がする(たとえば、「女優志望の女」とかいう表現があったり・・・)。
しかもリズムもキレもコクも無く、言っていることが平板である。まあ、そんな欠陥が無く、おもしろい文章が書けたら私だって文章で飯を食うことを目指していただろう。
世の中では、しかし忘れてはいけないことが一つある。橋本派への日歯連(歯科医師の政治団体)からの1億円献金事件。報道されてから修正申告しました、はいおしまいでいいのか?その場には橋本元首相、青木参議院幹事長、野中元幹事長がいたと報道されているが・・・。報道量が少ないような気がするぞ。ジャーナリズムの衰弱が最近目に余る。もうすでに後戻りのきかないポイントにまで後退してしまったのか?
今日は本屋さんでもうひとつの直木賞受賞作、熊谷達也『邂逅の森』を買った。感想文がいつ登場するか、そもそもこの本を読むかどうかはわからないが・・・。
7月18日(日) 腐っても鯛
という言い方があるが、やっぱり腐った鯛は食べられないのではないだろうか?腐った鯛より生きのいい鯵ではないだろうか?
書くことが無いので日本語に文句を言っているわけだが、他にも考えて見るとヘンな慣用句があるぞ。
たとえば魚関係で言うと(と言ってもひとつしか思いつかなかったが)、「まな板の上の鯉」。「いやー、もう、まな板の上の鯉ですよ〜。」どうして鯉なのだろうか?他の魚ではいけないのか?「まな板の上の鯛ですワ」とか言うと、自分で言ってて全然覚悟決めてねーな、こいつは。自分を鯛に例えるとはえらそーな、となるからか?「鯉」は登竜門を登ると龍になるからか?
あっ、魚と言えば、今週の水曜日(21日)は土曜のウシ、いや土用の丑の日で鰻を食べる日だなあ。セブン・イレブンに貼ってたな、ご予約承り中。しかしコンビニというのはチマチマと何でもやるなあ。あんなに狭い空間に何でも詰め込んで、効率化の極みだよね。これが日本か?
昨日、「ラスト・サムライ」をビデオで見たが、日本を舞台にしているのに、また日本人俳優がたくさん出ていて、スタッフにも日本人がいたハズなのに感じた強烈な違和感の原因は何かと考えて見ると、やはりひとつは「広さ」なのかな。あんな広い場所は日本に無いぞ!と思うのである。今日放送されたNHK「新選組」の池田屋事件などを見ると、やっぱり日本は狭いのである。刀を振り回すと天井についてしまうのである。
それから色使いである。日本ではもっとくすんだ色が好まれると思うが、「ラスト・サムライ」のほうはなんだかキンキラ派手だったような気がする。あっ、そうか、「ラスト・サムライ」は「ラスト・エンペラー」の二番煎じをねらったタイトルか?それで中国的色合が目についたのか?しかし、この「中国的色合」と感じるものもハリウッドで形成・流布された感覚かもしれないので、私も偉そうなことは言えないのである。殺陣は日本映画という感じがあった。
まあ、日米の間でもこうなのだから、「異文化コミュニケーション」はタイヘンである。
とブツブツ言っているうちに、真夏の一日も過ぎていくのである。
7月16日(金) 芥川賞・直木賞は
よく見てみると、受賞した3作とも出版社は文藝春秋じゃないか。だから取ったのかどうかわからないが、疑念を抱かせるには十分である。
前回の芥川賞では金原ひとみ、綿矢りさともに単行本の出版社は文藝春秋では無かった。しかし、「文藝春秋」は2作を全文掲載し、大増刷したことを覚えているぞ。単行本出版社の、河出書房新社と集英社は困惑したに違いない。
これは下衆のかんぐりか?出版界の常識か?最後は歴史が判断するであろう・・・なんてね。
7月15日(木) 大はずれ!
10日の日記で芥川賞・直木賞大胆予想をしてみたが、大はずれ、受賞作は、芥川賞がモブ・ノリオ 「介護入門」、直木賞は熊谷達也 「邂逅の森」 と奥田英朗 「空中ブランコ」 に決まったようです。まあいいか、でもいやしくも「本の虫」を掲げているこのサイトとしては両賞受賞作ぐらいはカバーしておきたいとは思うのだが、こだわる必要もないかという気はする。
受賞作にこだわり出すとキリが無いからね。ノーベル文学賞受賞作家だって今では忘れられていたり、そもそもその人誰という人が多いぐらいだから、適度にこだわっていきたいと思う。
7月13日(火) 新幹線での読書
今日は久しぶりで東海道新幹線を利用したが、読書は快調。煩いアナウンスも少ないし、ずっと座れるし、中央線とは大違い。たしか昔JRで「新聞を広げて読めるぐらいの」環境を作るとか言っていたのを思い出した。最近は聞いたこと無いが、この目標はもう投げ捨ててしまったのだろうか?
7月12日(月) 在庫増加
つまり、本を読んでも感想文が公開できない状況のことである。いろいろ忙しいので、今日読んだ本、そして多分明日読み終わるであろう本の感想文もずれこむことになるだろう。
彗星が来るという噂だけでパニックに陥ってしまうようなことでは現状を変えるような商品を提供することはできないのである。(謎)
7月11日(日) 参議院選挙の結果
とは(多分ほとんど)関係無く、このサイトと私の生活は続いていくのである。いや、それは違うか。かなり大きな影響はあるだろうと思う。しかし、このサイトと私が政治に影響を与えることは無いのである。
さて、いよいよこのサイトのデザイン変更も大詰めを迎えている。ある程度の統一感が達成されたかなと思っている。残るは表紙である。なにしろ、Googleでは表紙しか見ていただいていないのである。(でもどうして?)表紙を見やすくすることで最後の仕上げになるだろう。
7月10日(土) 芥川賞・直木賞
の最終候補作品が8日発表された。私は例によって1作も読んでいないのだが、前回に倣って大胆予想をしてみたい。
まずは芥川賞。候補は、
いと(糸ヘンを二つ横に並べた字)山秋子「勤労感謝の日」
栗田有紀「オテル・モル」
佐川光晴「弔いのあと」
松井雪子「日曜農園」
モブ・ノリオ 「介護入門」
の6作品。
これはもう「覆面作家」という話題性で舞城王太郎で決まりでしょう!三島由紀夫賞も別作品で受賞してるしね。(しかも、私はこの作家しか読んだこと無いし・・・)
直木賞候補作も6作:
伊坂幸太郎 「チルドレン」
奥田英朗 「空中ブランコ」
北村薫「語り女たち」
熊谷達也 「邂逅の森」
田口ランディ 「富士山」
東野圭吾 「幻夜」
これは難しいところだが、ひとりなら東野圭吾、ふたりなら北村薫という在庫一掃セール(失礼)で決まりか?
発表は15日(木)だそうです。
7月8日(木) おいおい、こんなのありか?
朝、やっとの思いで会社に到着すると、e-mailが届いている。「本日の自民党決起集会のお知らせ」(正確には違っているかもしれないが、そういう趣旨の文書)。あー、そういうのあり?「お客様が支部長を勤めているので、ふるってご参加ください。終業時間には間に合わないけど、タイムカードは押して現場まで行ってください」(みたいなこと)。
こういうのは地位利用による選挙運動というのじゃないの?もちろんコンプライアンス上は問題は無いようにしているのだろうが、憲法いや民主主義の基本的精神に反しているよね。おいっ、山口二郎教授!こーいうのが民間労働者の置かれている状況なのだよ。民主主義??そんなのは、今も無いし、昔も無かったということなんだよ。象牙の塔の中で、あるいはちょっと外に出て市民団体とかいう人たちとだけのお付き合いではこういう実態はわからないかもしれないが、ここのどこに民主主義があるのか教えてもらいたい。どうやってこのような実態を打破すればいいのか教えてもらいたい。
もちろん、私はこんなe-mailは無視して、時間通りお勤めいたしましたが・・・。こういう私の態度を会社が、よくやった!と褒めることは無いと思いますよ。
7月7日(水) 梅雨も蒸発してしまう
この暑さにもかかわらず、また通勤読者という立場にもかかわらず、本を読んでいます。しかも、仕事に全然関係の無い本ばかり!私もこういうときは軽井沢にでも避暑に行きたいものですが、そういうわけにもいかない。それなのに何故わざわざ本を読むのか?ましてや私は、別に本を読むことを職業にしているわけでも無いし、そうなるような見込みも無いのにもかかわらずである。
きっと、本を読むことがいいことだという刷り込みがあるからだろう。本を読む→知識が増える→勉強がよくできる→いい学校に入る→いい仕事につける→生活安定という私の時代の、生まれによって将来の地位が保証されているという一部の恵まれた人たち以外の人間の思い込みである。
もちろん、野球の練習をする→野球がうまくなる→野球でいい学校に入る→いい球団に入れる→生活安定とか、いろいろな道はあるのである。あるいは、手先が器用に生れついた→学校時代は本屋やレコード屋で万引きでけっこう稼いだ→さらに磨きをかける→ピッキングなどの技術も勉強→生活安定という道もあったかもしれない。
しかし、野球も下手で、手先も不器用ということであれば、とりあえず本でも読むしかないではないか。「知は力なり」などという功利主義的な刷り込みを、意識のレベルでは拒否していても、実は心の奥深くに持っているのだ。
いやそのような刷り込みへの反発も育っていて、だからこそ真夏の通勤電車で安部公房や岩波新書を無理して読んでいるのである、きっと。だって、「複式簿記の基礎 第4版」とか「猿でもわかるプロジェクトマネッジメント」とか言う本(そんな本があるかどうか知らないが・・・・特に後者は)は読んでないもんね。
しかし、すでに「生活安定」は本を読んだり、勉強がよくできるということとはあまり関係が無いのだということを日本人が認識し始めてすくなくとも十年以上は経っている。私自身も上述のような実用書的読書は嫌いなのである。こうなると、実用書も売れず、ましてや「教養」書は売れない。インターネットやテレビ、DVD、ゲームのほうがおもしろい・・・。これでは本が売れなくて当然である。
この問題、「誰が本を殺すのか」の発起人版は引き続き考えていきたい。
ところで、今日は七夕である。
7月4日(日) 新潮文庫の100冊など
が出てくると、夏本番という気がしてくるのは本の虫の悲しい性である。今日は定例の本屋参りでレジのところで新潮、角川、集英社の3文庫の冊子をもらってきた。ざっと見たところあまり変わり映えはしていないようではあるが、こういうフェアがきっかけとなって読書という悪事に手を染めてしまう青少年が後を絶たないのは慶ぶべきことである。はやくこんなフェアなどフンッ、今年も夏かっ、どれどれ今年の出来は、コンコンと叩いてみるような西瓜作りのような、立派な一人前の本の虫になるんだよ〜。
私がこんなところでブツブツ言っていても始まらないが、たとえば「新潮文庫の100冊」には宮部みゆきが4冊も選ばれている。売りたい作家というのはあるのだろうが、私としては誰に頼まれてるわけではないのに勝手に、しかも毎月選んでいる「百人一書」のように、1著者1冊というふうに選んでみて欲しいものである。
7月3日(土) 歴史の重み
このところ、ユダヤ教、聖書、キリスト教に関連する本をとは言っても硬軟とりまぜて3冊読んだが、痛感するのは西欧・イスラム文明の根底にある歴史の重みである。何しろ「新」約聖書が今のようなカタチになったのが4世紀頃、最初の福音書成立は1世紀頃。モーセに至っては紀元前13世紀等々という昔のことなのである。
その頃日本には文字すらなかったのである。たかだか数千年のことだと言ってもこの積み重ねは大きい。だから日本が遅れているということが言いたいのでは無く、お互いに理解するには時間がかかるということである。まあ歴史を知らないと理解しあえないというわけでは無いが、歴史を過小評価するのも問題だなあと思ったのである。
7月2日(金) 別に暴走族のサイトになったわけではありませんので
今月も夜露死苦!いや、よろしく!
『セカ中』のテレビドラマが今日から始まっている。もちろん、私はそこまではお付き合いはできません。来週からは森村誠一 『人間の証明』のドラマが始まるし・・・いや、違うっ!『ハリ・ポタ』を・・・、いや、それも違うっ!
そういうのもいいが、私にはほかに読もうと思っている本が文字通り山積みなのである。