きれぎれ日記−発起人の日記 5 (2003年8月)
8月31日(日) 秋の姿に模様替え
表紙の虫はお月見バージョンになりました。9月もよろしくお願いします。
8月30日(土) 戸梶圭太と舞城王太郎との違いはどこにあるか?
戸梶圭太と舞城王太郎は似たところのある作家として取り上げられていることが多いようだ。私が読んだ戸梶圭太は『溺れる魚』1冊だけ。舞城王太郎は『煙か土か食い物』と『暗闇の中で子供』の2冊。この両作家を比較する十分な読書量とは言えない。しかし、私の中では、戸梶圭太は、とんでもないことが起きない限り二度と読まない作家として分類されているのに対し、舞城王太郎の場合はしばらく他の作品も読んでみたい作家に分類されている。その違いはどこにあるのだろうか?
考えてみると、なかなか適当な言葉が見当たらない。ユーモアの質?知性?うん、たしかにこの点では舞城のほうがはるかに上にあるように思われる。作品に対する方法論が確立していること(=独自性があること)、キャラクターの魅力という点でも舞城>戸梶である。
でもやっぱりこれが最大の違いだなと思ったのは、暴言だが、戸梶の場合はなんとなく誰にでも(自分も含めて)書けそうな気がするのに対し、舞城の場合は、あーこれは誰にも(ましてや自分は)書けそうもないなと圧倒的に思うということだ。これがひょっとして娯楽文学と純文学の違いなんだろうか?それともフツーの人(あるいは秀才)と天才の違いということになるのだろうか?
誰か納得できるようにこの(私が感じる)違いを解説してくれるような文芸批評はないものだろうか。なんでも褒めることしかしない「文芸評論家」というのは数多いのだが・・・。
8月29日(金) 角川文庫は
「2003夏のGO!GO!ちょっくらぶ」というのをやっているようです。これは28/107冊を読了していました。しかし相変わらず角川文庫は横溝正史ものが多いですね。5冊も入れています。映画とタイアップして本も売るという方式を大々的に始めて成功したのが、横溝正史/森村誠一/赤川次郎等と角川文庫だったと記憶しています。その名残でしょうか。でも森村誠一は1冊。ん?赤川次郎は一冊も入っていない。こんなフェアなんかしなくてもコンスタントに売れるからいいやということなのかな?
しかし、この「チョックラ・ド・フローネ」という意味不明のキャラ。なんとかならんのかぁああ?(怒)
8月28日(木) 集英社文庫の「ナツイチ」
というのもあるんですね。これは「ああ、この子、朝の連ドラに出てたわ〜。そうそう、玉木宏(1980生れ)クン」(©発起人の妻)がイメージキャラクターを務めています。っていうことはこの文庫のターゲットは明らかに女性読者ですね。(ちなみに↓の新潮文庫は最近はずっとYondaパンダですが・・・。)
こっちは名作というか古い時代に書かれた本が少ないせいか、何と、私が読んだことのあるのは全部で94冊のうちたったの9冊!うーん、まあいいや。集英社文庫は長期的な課題として取り組んで参りまする。
「ナツイチ」には入ってないけど、集英社文庫といえばやっぱりスティーヴン・キング『呪われた町』(1975)! まだの人は是非読んでみてください。
8月26日(火) 新潮文庫の100冊
というのがありますね。この間本屋さんに行ったときにレジでパンフレットをもらってきました。当サイトでも100という数字にはこだわっていますが、夏になるとこの文庫界の老舗、新潮文庫の100冊が文庫コーナーをにぎわせています。この今年の「100冊」の中で、私発起人が今までこのサイトに感想文を載せた本は、司馬遼太郎 『燃えよ剣』(1964)、戸梶圭太 『溺れる魚』(1999)←ええっ!これも?、ヘミングウェイ 『老人と海』(1952)の3冊です。
読んでいない本は?うー、たくさんあります。さっき数えたら読んだ本がやっと51冊。かろうじて過半数ですね。来年の新潮文庫の100冊が発表されるころには全部?は無理でも80冊、いやそれは無理でも三分の二ぐらいの67冊ぐらいは読んでいたいものです。
8月24日(日) 暑い時に読む本
えー、東京地方は本日最高気温が34.3度と昨日を上回ってこの夏いちばんの厚さ、いや暑さを記録したそうである。さて、今日のように暑い日に読むにはどんな本がいいのだろうか?
私の読みかけの本は舞城王太郎 『暗闇の中で子供』と浅田彰 『構造と力』。どちらも冷房効果があるとは思えない本である。豊かな四季の自然に恵まれた日本に住むものとしてはできれば季節に合わせた本を読みたいものだ。
やはり暑い時はホラー系、怪談系かな? ホラーといえばスティーヴン・キング!『ファイアスターター』?うー、暑い!『シャイニング』は涼しかったよね、たしか。雪や氷が涼しいのなら真保裕一 『ホワイトアウト』か?あー、あまりの暑さと舞城王太郎にあてられてか涼しい本が思いつかない。島田荘司『火刑都市』とか、カー 『火刑法廷』とか、暑いというか熱い本はいくらでも思いつくのに・・・。
暑いときに暑い本でいいのか!ガマン大会みたいだけどね。
8月22日(金) 感謝500台接続
このサイト、カウンターも置いていないので、正確な訪問者数というのは私も把握していない。でもこのサイトにアクセスしたコンピュータの台数というのは把握できるようになっていて、この数がようやく500台を突破した。
広告も出していないから普通の人がこのサイトのことを知るのはほとんどが検索サイトを通じてだと思う。特に養老孟司 『バカの壁』の感想文をアップして、Googleで「養老孟司 バカの壁」で検索すると上位に出てくるようになってから接続コンピュータ台数は増えてきたようだ。あとは最近直木賞を受賞した 石田衣良 『池袋ウエストゲートパーク』も貢献してくれているようだ。両著者に感謝!
後悔いや公開してから68日で(←あとで数え直してみたら98日でした!8/30追記)やっと500台。1000台はいつだろうか?
8月21日(木) 現代日本文学の翻訳事業
というのがあるらしい。文化庁がやっているプロジェクトで平成14・15年度には27作品を翻訳するという。私はこれはなかなかいいのではないかと思います。私も暇とお金が有り余っていればやりたいと思っていたぐらいで、「暇とお金」がある役所がやるのはいいんじゃないでしょうか。
でもね、たった27作品 というのはどうなんだろうね?京極夏彦(選ばれてないけど)なんかは新刊がでると1年で翻訳とぐらいにいきたいね。まあ国にスピードを求めるのは無理か。海外の読者が早く新刊を出せ!といってくるぐらいになって欲しいですね。そのための呼び水ということでいちおう褒めておこう。
アッパレ!
8月20日(水) アントニーかアンソニーか
シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』、私が保有している新潮文庫版では「アントニー」であり、「アンソニー」ではない。ところが、映画『羊たちの沈黙』てハンニバル・レクターを演じた俳優の「アンソニー・ホプキンズ」は「アントニー」ではない。しかしまた、ミステリー黄金時代の巨匠「アントニイ・バークリー」は「アンソニー」ではないのだ。いずれも英語ではAnthonyなのだが日本語で表記される場合は、「アントニー」と「アンソニー(イ)」の二通りあり、一般的には上述のように表記されているようだ。ややこしいね。
これは舌を噛んで音を出せと中学校時代に教わったいわゆるティー・エイチ音で、日本語には無い音だから、「ト」と「ソ」の二種類で表記されるようになったのだと推測する。どちらでもかまわないと思うけど前から気になっていたので書いておきます。
8月19日(火) 酷評した本
戸梶圭太 『溺れる魚』(1999)を酷評してしまいました。私ごときに何を言われても、(たとえ賞賛した場合でも)作者はもちろんビクともしないと(いうか多分知らないだろうと)思いますが、なんだか後味の悪いものです。このサイトをオープンして「評価」1点をつけたのは渡辺淳一 『野分け』(1974)以来で2冊目になります。
当然この感想文、私個人の感想文なので出版社や作者に遠慮することなく書いていきますが、不安になるのは私の感想とウェブなどでの一般的な評価が大きく食い違う場合です。『溺れる魚』の場合、あとでグーグルで検索してみると、皆さん好意的な感想が多かったのにはびっくりしました。どうしてこんなに違うのか?何か私は見落としたのだろうか等々考えてしまいました。(それでも今のところは書き直しするつもりはありません。)
8月17日(日) ベストセラーを読まないで語る
13日の続きです。
E 杉江松恋『バトル・ロワイヤル2鎮魂歌(レクイエム)』
高見広春『バトル・ロワイヤル』(1999)は、幻冬舎文庫版を持っています。(読んではいないけど・・・)そしてこれが映画になって大きな話題になったことはニュースで知っています。この『2』のほうは、原案/高見広春になっていて映画の『2』の小説化ということになるのでしょうか?まず『1』のほうを読む・・・つもりですが、高見広春という人、『1』以外著作がほとんど無いようだし、どうしてるんでしょうね?『2』ではどうして杉江松恋という人が書いているのか?(この人は今までミステリーの書評などの活動をしてきた人のようです。) この『1』自体がスティーヴン・キングの『死のロングウォーク』(原著1979、扶桑社ミステリー)に似ているという話も聞いたことがありますが、これは『1』を読まないと断言できません。
F 大川隆法『大悟の法』
えーっと、幸福の科学ですか?これは興味も関心も無いので(どうしてかと突っ込まれてもこまりますが)、パスさせていただきます。
G キムウニ他『冬のソナタ(上・下)』
韓国で放送されたドラマの小説化の翻訳だそうです。私はこれに限らず映像化作品の小説化というのはどーもよく意味がわからないんですね。いわゆる、昔はやった「マルチメディア」というか、「一粒で二度おいしい」というのか?
H Yoshi 『DeepLove愛の物語』
ん?ケータイサイトで発表された小説??やっぱり人は紙と活字を求めるものなんですね。
I 石田衣良 『4TEEN』
直木賞受賞作ですね。文庫になったら買ってもいいかな・・・と思ってはいますが・・・。
8月13日(水) ベストセラーを読むあるいは読まないで語る
私は従来ベストセラーは避けていた。ベストセラーは文庫化されてからでも遅くないというのが私の考えだった。文庫本のほうが経済的だし携帯・保存にも便利である。
しかし何よりも、おもしろい本=残る本という教養主義的な固定観念に縛られていたことが一番の理由である。これは逆に言えば、ベストセラー≒くだらない本だという観念でもある。
しかし、これはやっぱり間違っている。まず、くだらない本でもおもしろい本はある。それに旬の本というものもあるだろう。2003年の8月に読んでこその本というのがあるハズだ。ということはやはりある程度はフォローしていく必要があるのだろう、ということでヤフーのランキングを見てみると、えーっと、8月4日付け総合ランキング(最新版)は、
@ 養老孟司 『バカの壁』
うん、うん、これは読みました。感想文も載せました!
A フジテレビジョン『トリビアの泉(1・2)』
これはテレビ番組だよね。これはちょっと触手が動かないなあ!テレビ見ればいいんじゃないのかなあ?ところでこの番組、↑で書いたような教養主義とは無縁であることを売りにしている番組だね。それもそれでひとつの教養主義のような気もいたしますが・・・。
B 茅田砂胡『女王と海賊』
女性向けコミックみたいな表紙の本だよね。ノベルス版の。うん?これは「暁の天使」シリーズの5冊目?だいたいこの作者なんて読むんだろー?かやた・すなこ?うーん、他にも「デルフィニア戦記」シリーズ18冊とかいろいろ??うーん、これ以上のシリーズものは・・・私はとりあえず、パス!
C 小林よしのり『わしズム(7)』
これは小林よしのり責任編集の雑誌のようです。「日本を束ねる知的娯楽本」だそうですが、私はあまり束ねられたくないので、これもパス!すいま千円!
D 片山恭一『世界の中心で愛を叫ぶ』(→題名が間違ってます。正しくは、『世界の中心で、愛をさけぶ』でした。2004/05/05訂正)
なんかジワジワ売れてきて(初版発行2001年4月)今やベストセラーの上位という小説です。泣ける小説だそうですけど、たしか『世界の中心で愛を叫んだけもの』という本があったな。SF作家のハーラン・エリスン著?うーん、それと関係あるのだろうか?もうちょっと様子を見てみよう。
さて、6位以下は明日に続く・・・かもしれない!
8月11日(月) 厚い文庫本の謎にせまる!
文庫本の厚さ/薄さの話を書きましたが、いったいどうして最近文庫本が厚くなったのかということを考えてみました。
おそらく、製本の技術革新ということがありますね。京極夏彦の長い小説を、一冊のペーパーバックにしてもちょっと時間がたつとバラバラになってしまうというようなことが無くなったんですね。それが千ページをはるかに越える文庫本を出現させたのでないか、うーんそのうち厚さが横幅よりあるいは縦より長い文庫本が出てきたりして・・・。そうなるともう「弁当箱」どころか「さいころ」ですね。
それから作家の側ではやはりワープロ→パソコンの普及が大きいと思います。私のようなド素人でも恥ずかしげもなくホームページで雑文を書き散らす時代です。文章のプロである作家がそれまではとても根気が続かなかったであろう大作をものにするのはワープロ→パソコンを使った日本語処理(生産)能力の向上ということを無視できません。京極夏彦がどうやって書いているのかは知りませんが、(土蔵の中でろうそくをともして筆を使って書いてたりして)あんな難しい漢字を使ったり、何度も事件をなぞっていく手法を使ったりするのは、きっとキー入力で日本語を生産するということが広まったことと無縁ではないように思います。(別に京極夏彦の小説が冗長だといっているつもりはありませんよ!あんなに長いのに最後まで読ませる手腕に私は感心しています。)
英語は26文字しかないけど日本語はそれではすみませんからね。あー、音声入力というのも最近はあるそうだし、別に紙にこだわらなくてもいいんだから携帯端末があればどこでも本が読めるのか。でもなあ、やっぱり紙に印刷された本に私はこだわりますね。紙−活字文化の最後の世代になるのかもしれません。
8月8日(金) それじゃあついでだから薄い文庫本
というわけで厚いのがあれば薄いのもあります。私が現在所有し、かつ読了した文庫本から薄手の文庫本ベスト10をご紹介します。
I チェーホフ『桜の薗』(岩波文庫) 101ページ!
H アナトール・フランス『少年少女』(岩波文庫) 100ページ!
G 野上弥生子『海神丸』(岩波文庫) 99ページ!
F トオマス・マン『トニオ・クレエゲル』(岩波文庫) 98ページ!
E 岡倉覚三『茶の本』(岩波文庫) 95ページ!
とここまでは岩波文庫が独占しています。
D フリードリヒ・エンゲルス『フォイエルバッハ論』(国民文庫) 94ページ!!
C マックス・ウェーバー『職業としての学問』(岩波文庫) 91ページ!!
さあ、いよいよベスト3の発表です。
B 増谷文雄『釈尊のさとり』(講談社学術文庫) 90ページ!!!
A カール・マルクス『賃労働と資本』(岩波文庫) 89ページ!!!
@ 谷川徹三『哲学案内』(講談社学術文庫) 85ページ!!!
うーん、古典的な作品、哲学・思想的作品が多いですね。薄くてもしっかりと自己主張している作品ばかりです。
さて、文庫本薄さ大賞は谷川徹三に!文庫本薄さ出版社賞には、厚さ出版社賞に続いて講談社に進呈いたします。
8月7日(木) 分厚い文庫本
さて、京極夏彦 『狂骨の夢』を読んでいるわけですが、これが長い!長いからいけないというわけではありませんが、私が読んでいる講談社文庫版、1000ページ近くあります。昔だったら多分、上・下に分けるとかしていたのではないかと思うのですが、最近はこのように分厚い文庫本が増えているように思います。
同じ作者の『魍魎の匣』(講談社文庫、1060ページ)、私が読んだ文庫本の中では最厚?です。次に分厚いのが、スティーヴン・キング『死の舞踏』(福武文庫、817ページ)、以下B司馬遼太郎 『俄ー浪華遊侠伝』(講談社文庫、815ページ)、C高橋克彦『総門谷』(講談社文庫、784ページ)、Dハインライン『異星の客』(創元推理文庫、781ページ)、Eウィングフィールド『夜のフロスト』(創元推理文庫、761ページ)、F藤田宜永『鋼鉄の騎士(上)』(新潮文庫、757ページ)、G松本清張『草の陰刻』(講談社文庫、753ページ)、H藤田宜永『鋼鉄の騎士(下)』(新潮文庫、752ページ)、I島田荘司『水晶のピラミッド』(講談社文庫、741ページ)・・・となりますが、『狂骨の夢』は、えーっと982ページだから読み終えるとこの分厚い文庫本選手権では堂々の第2位にランク・インすることになります。
さらに、京極夏彦は、『鉄鼠の檻』(講談社文庫)が、1359ページ!!、『絡新婦の理』(同)が、ギェっ、なんと1389ページ!!!
京極夏彦には、文庫本厚さ大賞を、講談社には文庫本厚さ出版社賞を進呈したい。
8月6日(水) 原爆記念日
58年前の今日、広島に原爆が投下された。3日後には長崎が犠牲になった。数十万人の生命を奪い、測り知れない苦痛と困窮を生き残った人にももたらしてきた。
私が読んだ広島原爆を直接のテーマにした本は、たぶん井伏鱒二『黒い雨』(1966、新潮文庫)だけだと思う。広島・長崎から離れて核戦争・核兵器全般ということになると、ネビル・シュート『渚にて』(1957、イギリス、創元SF文庫)、筒井康隆『霊長類南へ』(1969、講談社文庫)を思い出す。小説以外では、ジョナサン・シェル『地球の運命』(1982、アメリカ、朝日新聞社)には感動したのを覚えている。そして、大江健三郎には、『ヒロシマ・ノート』(未読)という作品があるだけではなく、核の時代にどのようにして人類は、あるいは個々の人間は希望を持って生きることができるのかというテーマが一貫して流れている。
核兵器に代表される圧倒的な暴力と脅迫が天蓋のように私たちの行動と意識の限界を規定している世界で、私という個人は萎縮し、無力になり、阿諛追従し、現実から目をそらすことで毎日を送っている。すべてを核兵器のせいにするわけではもちろんないが、核兵器後の世界は明らかにそれ以前の世界と様相を変えたと私には思われる。
せめて、ひとりでも多くの人が読書という疑似体験を通じてでもこの問題を考えてもらいたいと思う・・・って言ってもなあ、58年経っても核兵器は無くならないもんなぁ。どうすんべえ?核兵器を無くすために核兵器を持つか?核兵器を使われないようにいちばん核兵器を持ってる国にお願いするか?(まあ日本という国は今そういう行き方を現実政治の場ではしているわけです)
思考停止状態=「現実主義」への追従から脱却することから始めるしかないね。
8月5日(火) シリーズものの呪縛
世の中にある本でシリーズものは多い。たとえば夢枕獏の陰陽師やキマイラのシリーズ。(どちらも私は最初の一冊しか読んでないけど・・・)赤川次郎の三毛猫ホームズ。西村京太郎の十津川警部シリーズ。現代の作家だけではない。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズやモーリス・ルブランのルパンもシリーズだ。こうやって見ると特にミステリーにシリーズものは多いように思える。(いや時代小説もSFも長いシリーズが多いか?)
何故こんなにシリーズものが多いのか?作家にとっては、探偵や主人公などの物語の基本的枠組みを考え直す必要が無いということがある。これは作家にとっての動機だが、同時にこの「お馴染み」のヒーロー/ヒロイン、レギュラー陣は読者に安心感を与えることになる。それにシリーズものになるのは、多くの場合は最初の作品が広く世に受け入れられたからだとも言える。(もちろん、最初から全体構想を持って書いている作家も多いのだろうが・・・)
それでは作家・読者にとって万々歳、シリーズものの繁栄はけっこうなことだ、と言いきっていいのか?いや読者にとっては、特に熱心な読者であればあるほど、シリーズに呪縛されるという弊害が生じる。たとえば京極夏彦の京極堂シリーズ、島田荘司の御手洗潔シリーズ等々、熱心な読者はこのシリーズを追っかけるハズ。こうした追っかけの対象が10シリーズぐらいになるともう他の本が読めなくなるよね。内田康夫の浅見光彦シリーズとか十津川警部シリーズなんて毎月のように出てる気がするから、こんなシリーズを追っかけだすともう悲劇としかいいようが無いと思う。本人は満足だからそれでいいのだが、他の本が読めなくなるよ〜。
私は自制している。だからシリーズものも最初の一冊とか数冊でとまっているのが多いのだ、とそんなことを考えながら京極夏彦 『狂骨の夢』(1995、京極堂シリーズ3作目)を読んでいます。
8月3日(日) 抵抗勢力との闘い
といっても、道路族や郵政族では無い。文庫化に強力に抵抗する作家や出版社のことである。昨日書いた「プロジェクト」を成功させるために立ちはだかるのは絶版本だけではなかったのだ!頑強に文庫化を拒んでいる勢力があるのだ。
たとえば、高村薫。『レディ・ジョーカー』(’99年版国内編1位)は当分文庫化されそうもない。最近やっと文庫化されたのが’93年版国内編1位の『マークスの山』だが、これは最初の単行本を大幅に加筆訂正されたものになっていて、熱心な読者は単行本も文庫本も買わなければならない。(高村薫は特に文庫化の書き直しが大幅なことで有名である。)’95年版で3位になっている『照柿』がおそらく次の文庫化対象作品なのだろう。
’91年版海外編1位のウンベルト・エーコ 『薔薇の名前』も文庫化されていないし、比較的新しいが2000年版国内編1位の『永遠の仔』(天童荒太)もまだである。仕方が無いので今日買ってしまいました(泣)。
別に「このミス」ベスト3計画に関連する作品だけではない。浅田次郎の『蒼穹の昴』もそうだし、ほとんどの哲学・現代思想関係の基本文献となるような書物はそうだ。フッサールとかレヴィ=ストロースとかフーコーとかね・・・。この点では私は岩波文庫の奮起に期待したい。あの有名な、「読書子に寄す」で「今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である」と宣言し、すべての岩波文庫にまだこの一文を載せているからにはもっと現代に近い新しい古典を文庫化して欲しいものである。(といっても、「同時代ライブラリー」の焼き直しのような「岩波現代文庫」はどうなんだろうか?私はあまり食指が動かないのですが・・・)
たしかに何でも文庫にすればいいというものではないかもしれない。作家の生活も出版社・書店等にとっての採算性も重要だろう。でもね、なんでもコンパクトにするのが日本の良さのひとつなんだし、書籍は再販価格制が例外的に認められている商品なんだから、できるだけ早く可能なものは文庫本化するのがいいんじゃないかと思うよ。文庫といってもけっこう高い文庫も多いよね。この間文庫化された埴谷雄高『死霊』(講談社文芸文庫)なんか、1400円×3冊=4200円(本体価格)だからね。ちくま学芸文庫なんかも高いよね。このように採算性に問題ありと思われるものは文庫化しても価格は高く設定できるんだからできるだけ早く文庫化すべし。
8月2日(土) 読書プロジェクト−1 「このミス」過去15年間の各年ベスト3読破計画
これは読書についてのサイトなのであるから、このきれぎれ日記もその点を忘れずに続けていきたい。
というわけで、表題の通り過去15年間の「このミステリーがすごい!」(宝島社)の国内編・海外編のベスト3、すなわち3×2×15(年)=90点の読破計画を立てることにしたい。えーっと、すでに読破したのが、国内編では30点、海外編では、えーっとこれも30編。ということは残りは国内編、海外編ともそれぞれ15点で計30点か。うーん、月に2点読んだとして15ヶ月かあ・・・。ちょっと待てよ、毎年12月には新しい「このミス」が出るから、8月から毎月2点づつ読んだとしても、12月末には、30−(2×5)+6=26点!!来年12月末には26−(2×12)+6=8点!、うーんということは再来年の4月、2005年の4月に完了ということになるのか〜!
うーん道は遠い。もう絶版に近い本もあるしなあ。(たとえば、シャーリー・コンラン『悪夢のバカンス』とか、連城三紀彦『黄昏のベルリン』なんてあんまり本屋で見ないもんなぁ!)
でもとりあえずは2003年版、海外編第1位、ジェレミー・ドロンフィールド 『飛蝗の農場』(1998)というのを読んでいます。感想はいずれアップしたします。
8月1日(金) とりあえず8月のページを作りました
というわけです。これじゃ、日記じゃなくて月記だな。