単数と複数−発起人の日記 3 (2003年6月)
6月27日(金) 10点満点の本
私が自分の読んだ本に10段階で「点数」をつけ始めたのは1997年の8月からである。それ以来読んだ数百冊の本にはみんな「点数」をつけている。このサイトをオープンしてから10点をつけたのは、 石川信義 『心病める人たち』(1990)だけであるが、それ以外に10点をつけた本が、さっき数えて見ると66点あった。機会があればこのサイトでもご紹介していきたいと思うが、今見てみると、何でこれに10点満点なんかつけたんだろう?と思う本も多い。
昨日は文学賞について同じような感想を書いているが、自分の評価というのもあてにならないものだ。もちろん、自分というものも、あるいはちょっと気取って言えば、「主体」とか「自我」とか言うものも当然時間という要素によって変化するものであり、またこの10点評価法というものに明確な根拠があるわけではない。
でも、6年近くもこれを続けているとなかなか楽しいよ。読書関連サイトを作っている人たちもほとんどが、同じようにして自分の軌跡・変化を振り返って楽しんでいるんだと私は思う。自己満足?ひとりよがり?うーん、でもそれ以外に何があるの?などという問題はまた考えていきたいと思う。うん、そのうちにね。
6月26日(木) 賞について考える−1(って2があるかどうかわからないが・・・)
直木賞とか芥川賞、あるいは日本推理作家協会賞だとか小説だけでもいろいろな賞がある。賞にこだわったサイトも多い。たとえば、「直木賞のすべて」(http://homepage1.nifty.com/naokiaward/index.htm)なんかはほんとにすごい、と思う。こうした公式の賞とは別に、たとえば、ミステリでは宝島社の「このミステリがすごい!」(=「このミス」)の年間投票結果などもあって、本を選ぶときの参考にする人が多いと思う。
私もそうした受賞作は気になるほうだ。ひとつは流行に後れないようにという脅迫観念があるからだと思う。舞城王太郎という作家が三島由紀夫賞?うーん、それじゃあ受賞作の『阿修羅ガール』、とりあえず買ってみようか?別の作品で「メフィスト賞」も取ってるし、いつだったかの「このミス」でもベスト10に入ってたよなたしかとか、そういう思考が本の選択に大きな影響を及ぼす。
さらに、自分の中で確固とした基準が無いということもある。人生は短いのだから読める本の数は限られている、その中であんまり「損をしない」本の選び方・・・というと「受賞作」ということになってしまうんだね。
でも、やっぱり読んでみて、自分に合わないものは合わないし、何でこれが直木賞??なんて思う本も多い。実際、歴史の長い直木賞でもノーベル文学賞でも、リストを見てみるとこの人誰??今じゃ誰も読んでないんじゃない?と思う作家もたくさんいる、というかそのほうが多い・・・と思う。逆に、たとえば太宰治が芥川賞を欲しかったのに取れなかったこととか、筒井康隆も直木賞結局もらえなかったことなんかは有名だよね。(ちなみに筒井康隆は直木賞への恨みを『大いなる助走』(1979)という作品で晴らしている。)
自分が好きな本を選べる、いわば選球眼を養うのはほんとに難しい!
ん?賞より賞与?ごもっとも!(発起人の『百人一書』なんて参考にならないからね・・・?)
6月17日(火) 連続記録は途切れるもの
好調の阪神タイガースが横浜ベイスターズに劇的なサヨナラ逆転勝ちをおさめた。これで阪神は横浜に今期12連勝、横浜はおまけに連敗を8とした。しかし誰もいつまでも勝ち続けることはできないし、負け続けることもない。私のこの日記もついに11日ぶりに登場したが、同時に私の書評公開連続記録8日間(村上龍からミヒャエル・エンデまで)も今日で途切れることになる。
『モモ』の中にはなかなかいい言葉があった。道路掃除夫ベッポがモモに話す言葉:
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃだめなんだ。」
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」「これがだいじなんだ。」
うーん、どこかで聞いたような言葉。そうそう、ヒーロー・インタビューで阪神タイガースの選手が繰り返している言葉そっくりだ。阪神タイガースは最後まで『モモ』のように闘えるのだろうか?
6月6日(金) 松井は出稼ぎに出した孝行息子?
ニューヨークヤンキーズの松井が昨日の試合で2点本塁打を含む5打数4安打3打点という好成績をあげた。よかったね。はじめて7番に打順を下げられて発奮したのだろうか?ソックスをユニフォームの外に出した格好がよかったのか?
日本中が心配してたんだよ。日本にいたときは紛れも無い常勝ジャイアンツの4番打者!野茂やイチローは大活躍してたけど日本の長打者がどれくらいメジャーでも活躍できるか、まさに松井の一挙主意地等速、じゃなくて一挙手一投足を日本にいる私たちは心配していたんだよ。
やっぱり160試合以上あって、時差もあるアメリカでは日本みたいなわけいかないよね。ヤンキーズは名門だからプレッシャーもあるし、日本にいないタイプの投手もいっぱいいるらしいじゃない。
試合だけじゃないよ。生活のことも気になったね。ちゃんとした日本食が食べられないからダメなんじゃないかとか、でもニューヨークだったら日本食は大丈夫だよなとか、いや試合でテキサスなんかいっちゃダメだよとか。言葉も心配だよね。松井はちゃんと英語しゃべれるんだろうか。いやいややっぱり松井は嫁さんもらってないからダメなんじゃないかとか、はたまたあんまりみんなが注目するからダメなんじゃないの、そっとしておいてやろうよとかね。
うーんこうして見ると、松井はニッポンというイナカからアメリカという大都会に出稼ぎに行った孝行息子っていう感じですね。村にいたときはふん、何だい、村の草野球優勝チームの4番だっていってえばるんじゃねぇ〜、都会じゃあだめだっぺ、通用せんわさ・・・と言っていた私も、ガンバレっ!村の意地見せてやれぇええ!って応援しちゃってますからね。
でもね、都会の生活に疲れたらすぐ戻っておいで!そんなに無理しなくってもいいからさ、ね。
6月5日(木) マグロは大丈夫なのか?とどうしてメディアは書かないのか?
キンメダイやメカジキの場合、妊婦は週二回以下に摂取を抑えるのが望ましいという厚生労働省の薬事・食品衛生審議会というところの見解が出たそうである。有機水銀の問題である。ツチクジラやコビレゴンドウ、マッコウクジラは週一回以下、バンドウイルカは2ヶ月に一回以下だそうである。キンメダイやメカジキはともかくどうしてツチクジラやバンドウイルカが出てくるのだろうか?そんなモン一生に一回食べらるか食べないかでしょ?つまりツチクジラ以下はそもそも食べないサカナであってわざわざ厚生労働省が見解を出すまでもない。
しかし他の水産物は大丈夫なのかという当然の疑問が湧く。キンメダイやメカジキはわかったけどたとえばアジやイワシ、タイやヒラメやタコやイカ、サンマにホッケにサケやマス、まだまだあるぞフグにホタテにエビ、イクラ・・・、♪さかなさかなさかな さかなーを食べると〜、さかなさかなさかな〜水銀がたま〜る〜なんてことにならないのか?
「今回呼びかけた以外の魚種や妊婦でない人については「健康への悪影響を懸念するデータはない」」−と報道されているが、具体的なデータが報道されているわけではない。
ただし、「平均0.74〜1.08ppmと濃度が高かったマグロ3種も検討されたが、1回あたりの摂食量が20グラム程度と少ないため呼びかけ対象にはならなかった。」そうである。ええっ?メカジキは平均0.71ppm、キンメダイは0.58ppmでマグロより水銀濃度は低いじゃないか?メカジキやキンメダイの「1回あたりの節食量」 が60〜80グラムだからだそうである。(以上の引用はasahi.comからです。)
ちょっと待てっ!マグロ20グラムってどれぐらい?スシのマグロ一貫で20グラムぐらいいっちゃうでしょ?たとえば4人家族でマグロの刺身を食べるとき80グラムしか食べないのか?鉄火巻きのマグロは何グラムだ?ネギトロ丼はマグロ何グラム?うーんよくわからないからグーグルで「マグロ 調理法」で引いて見ると?ありました、ありました!「マグロQ&A」!
「スーパーで刺身を切る場合は、一切れ当り15g平均と聞きます。7切れを一人前と致しますと、105gです。
料理屋さんに聞いてみますと、 90gのところもあれば、70gのお店もあり、そのお店の考え方で
様々です」と「天然マグロの魚有(ぎょゆう)」のホームページにはあります。
ということは厚生労働省は日本人は平均一回あたりマグロの刺身を二切れも食べないから大丈夫だと言っているのか?そうではなく一人前が105gだとすれば一回食べたときの摂取量は厚生労働省の想定の5倍以上ということになって、キンメダイやメカジキより水銀 摂取量が高いということになるのではないか?
だらだらと書いてきたが、厚生労働省がマグロ関連産業(これはキンメダイやメカジキに比べると比較にならないほど巨大であると思う)やそれにつながる政治家に配慮して素人の私でもおかしいと思う発表をするのはいかにもありそうなことである。(BSE=狂牛病、カイワレダイコン・・・)
問題はそのような単純な疑問をどうしてメディアは取り上げないのかということだ。役所は違うが構図は「りそな」とまったく同じである。それともメディアが役所の発表を何の検証も無しにそのまま「報道」するということが常態化しているということなのだろうか?
6月4日(水) 個人からコミュニティへの飛躍
いやー、実はですね、現在、私、発起人がこのサイトにただひとり書評らしきものを載せているわけですが、ひとつだけ守っているルールがあります。まあ誰に強制されたわけでもないので自主ルールですが・・・。
それは本の感想を書くまでは、インターネットで他の人の感想などを見ないということ。人まねはしないというよりも他の人の感想などを見てしまうと自信喪失してしまうからなんですね。↓でクイーン 『災厄の町』の訳文についていろいろ書いていますが、その後グーグルで「クイーン」と「災厄の町」の二つのキーワードで検索して見ると出てくる、出てくるいろんなサイトでいろんな人が感想を書かれています。
みんな水準が高いです。私のいちゃもん付けのような感想とは違ってます。
したがって、ゆえにこそ私、発起人以外の方々が会員になっていただいてこのサイトを「コミュニティ」にしていくという方策を私としては提示する必要があるわけですね。
6月1日(日) 翻訳の問題−1
昨日読み終わったクイーン 『災厄の町』、感想文では書き漏らしたが、やはり翻訳されたものでは訳文が気になる。私が読んだハヤカワ・ミステリ文庫版は青田勝(1902年生まれの人らしいが)という人が訳していたが、ちょっといくらなんでも違うんじゃないかい?と思われる訳が目についた。(別に原文にあたったわけではないが・・・)
たとえば、「おやめ、けだもの!そこをお放し!」・・・「あんた恥ずかしくないの?そこの酔っ払いの鬼ばばあ・・・おやめといったら、おやめ!」(p184)というセリフ、別に岡引の女房が出てくるわけではない。舞台となる架空の町ライツヴィルの名家、ライト家の未婚の三女パトリシアのセリフである。
裁判のシーンでは、「・・・にさげすむようににらまれると、いくつかの耳が燃え、いく人かの婦人が顔を真っ赤にして終わりだった。」(p196)と言っても、別に眼から光線を出したわけでは無い。
また(おそらく)ダウンタウンを「下町」と訳していたりするし、一見して意味の取れない文章も多い。「嘘つき−色の白い嘘つきだ。」(p280)?これはたしかに白人の登場人物について言っているのだが、(まったくの嘘を日本語では「真っ赤な嘘」と表現するが)英語ではwhite lieは「罪の無い嘘」という意味だからおそらくこの訳文もそういう意味で訳し直す必要があると思う。
この原著が出版された1942年ごろ、あるいは青田勝が翻訳したころ(文庫版は1977年に初版が出ているが・・・)には実際に日本語はこんな感じだったのだろうか?
いずれにしてもこうした訳文を読まされると笑う必要の無いところで笑わされ、しばらく意味が取れず考え込んでしまったりする。
「あたし、余計なことをいってしまって。ごめんなさいね。お朝食していらっしゃらない?」(p88)と、私が謝らなければならないのだろうか?