公開までの苦闘の日々−発起人の日記 1 (2003年4月)

 

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4月30日(水) 公開は延期だっ!

 やっぱり今の状況では公開は無理。もう少し中身をちゃんとしないと・・・。それにバリウムの影響も残っているしね。

 白装束集団の話、新聞も書き始めました。この事件の本筋からは離れるかもしれませんが、テレビ報道で気になっているのは、最近声を変えたり、ぼかしたりする映像が多すぎないかということ。たしかにね、匿名希望の内部告発者の保護とか取材源の秘匿とかいうことでボカシとか音声変えるのは仕方が無いことかもしれないが、そうで無い場合にも多すぎませんか?(1)犯人逮捕のとき、手錠がかかっていると思われるあたりをボカシている(なんで?)、(2)イラク戦争ではCNNなどの従軍記者はボカシだらけの映像での前線リポートを行っていた(敵に位置を知られるから?残酷なシーンを見せないため?)、(3)白装束集団でもボカシだらけ(ボカシを入れるくらいなら生中継なんかするなよ〜!)。


4月29日(火) うう・・・書くことが無い

 それに明日は私は人間ドックだしね・・・。これでは5月1日公開なんて夢のまた夢・・・?

 白装束集団の話がテレビでは大きく報道されているが、新聞にはまったく出ないね。どうして??といぶかりつつ今日はもう寝るのだ!


4月28日(月) 鯨統一郎 『ミステリアス学園』にはまってしまいました

 知ってる人は知っている、知らない人は覚えてね、というわけで三浦のボイラならぬ、鯨統一郎(くじら・とういちろう)『ミステリアス学園』(光文社カッパ・ノベルズ、2003、評価9/10)を読んだりして一日を過ごしてしまいました!

 こういうタイプの本に発起人は弱いのだ。ネタバレはやっぱりこのサイトでも固く禁ずるべきだと考えているから、あまり書くわけにはいかないが、マトリョーシカというかメタ構造というか、この形式は私にはピタリと合っているんだなあと思う。少々難点があるかなと思ってもその点は全部帳消し。この形式に挑戦する勇気を称えたい。

 帯にも書いてあるように、「この一冊で、ミステリのすべてがわかる!?」という話の作りにもなっており、ミステリについての入門書としても役に立つ。

 でもね、この本を読んで痛感したんですけど、「ミステリ」を好きな人たちって、定義づけが好きなんですね。私も広義のミステリが好きなほうだとは思いますが、ミステリの定義とか分類とかまではあまりこだわらない。

 というわけで、ごろごろ、ぱらぱら、げらげらの一日でした。


4月27日(日) ドメインがとれちゃった!

 ひぇーっ!ドメインがとれちゃったよ〜。honnomushi.com!サイトの中身は全然できてないのに、サーバーまで設定されちゃったよ〜!これで後戻りはきかない。前進あるのみだ。連休期間中になんとかカタチのあるものにしてとりあえず立ち上げて見ることを決意した。全国の「本の虫」たちの本能と善意に期待して(憲法前文に似たようなフレーズがあったな、たしか)、「本の虫」たちが満足できる一大読書コミュニティ・サイトを作るのだ。

 ↓でいろいろ悩んで書き記した問題点は全然解決されていないけど、まあなんとかなるだろ〜!

 目標公開日は5月1日にする!うーん、コピーはそうだな、「今、新しい1ページが開かれる!」、「おいっ、本ばっかり読んでないでオフ会しようぜ!」、「全国の本の虫集まれっ!」?・・・と夢は膨らんでいくのだった。 


4月26日(土) 外来語の言い換え

 国立国語研究所というところが、外来語言い換え提案というのを出している。

 新聞にも出ていたが、一言で申し上げてセンスがないなあ〜!あっセンスも外来語か?うー、感受性が無いなあ〜!?フランスなどでは外来語に対して国家統制をしていると聞いたことがあるが、日本語でもそんなことを始める気か?国立の機関でそんなことしなくていーじゃん!自然に任せるのが一番だよ!そもそも言い換え提案後の言葉のほとんどは漢語ですよね。漢語ももとはと言えば外来語。残るものは残るし、残らないものは残らない。それからこれは「提案」となっているが、誰に対して提案しているのかがよくわか らない。

 言い換え提案を見てみると、たとえば「ライフライン」は「生活線」?なんだよそれ?よけいわかりにくいよ!

 「ハーモナイゼーション」→「協調」?そもそも「ハーモナイゼーション」なんて言葉は官僚しか使ってないよ〜。「各国政府とのハーモナイゼーションが必要」とか言って、日本政府の見識・意見・指導力の無さを覆い隠すための言葉でしょ。だからわかりにくいのは当然であって、言い換えるなら「力のあるところに従う」あるいは「米国への支持」!これでスッキリしますね。

 このリストをいや、表を見るとほとんどの言葉が官僚用語なんですよね。「デイサービス」→「日帰り看護」!これなんかは「デイサービス」自体が和製英語でかつ厚生労働省の役人あたりが使い始めた言葉ですよね。

 「ワーキンググループ」→「作業部会」。これも役所が企業とか「有識者」を集めて作る「委員会」とか「協議会」とかで実際に作業をやらされる人たちの集まりのことですから、私なら「実働部隊」とか「下働き集団」とでも言い換えます。実際には「ワージー」(これを聞くと私は寒気に襲われます)と呼ばれ、「WG」と表記されることが多い言葉ですけどね・・・。

 こうやって見て行くと、官僚が作った言葉を訂正する官僚が存在しているということになりませんか、これ?こんなことにお金と知恵、たいせつなリソース、おっと資源を使わないで欲しいというのが国民のコンセンサス、いや合意だと思うけどなあ。

 日本語についてはいろいろな本が出ていますが、とりあえずはやはり金田一春彦『日本語 新版(上)(下)』(岩波新書、1988、発起人評価9/10)をあげておきましょう。

 ところでね、この国立国語研究所のウェブページ、こんなに外来語使っちゃいかんじゃないかあ!「活動計画」の中だけでも、「カリキュラム」、「データベース」、「シンポジウム」、「コーパス」、「ニーズ」、「バーチャル」、「コンテンツ」、「リーダー」、「チーム」、「プロジェクト」、「フォント・サーバ」、「アンケート」、「メディア」等々・・・。 みんな言い換えなさいっ!

 それからね、たとえ外来語を言い換えたとしても、「発信するコンテンツについては,日本語教育支援総合ネットワークシステムを活用して,対照言語研究,誤用研究,比較文化研究,漢字・語彙研究に基づく日本語・日本文化に関する情報・資料の配信を行う。(平成14年度は,韓国語や中国語等アジア言語圏を対象)。」みたいな悪文の羅列はやめなさいっ!!

「あなた〜、他人のこと言えないわよ〜っ!」


4月25日(金) 北朝鮮の核兵器保有発言

 やっぱりね、でもはったりじゃないの?といろいろな反応が出ている北朝鮮の核兵器保有発言。私にはよくわからないことだが、小泉首相も外務省も防衛庁もそのために給料もらってるんだから、戦争にならないようにがんばってね。

 私が首相だったらどーするかな?

 うーん、やっぱりまず諜報活動というやつを強化しなければいけないよね。でも、わが日本にはちゃんとした諜報活動部隊が無いように思われるからなあ!まずはブッシュ政権だよな、鍵は。

 ブッシュさん、イラクであんなに孤立していたのにちゃんと支持したでしょ?貸しあるっしょ?だからここはちゃんと教えてよ、北朝鮮の意図はいったいどこらへんにあるのか、それからできたら北朝鮮に工作員を送って、核があったら使えないよーにしてくれる?お願いしますよ〜!もうわが国民はいろいろいってもイラクは遠い国の話だけど、北朝鮮は隣国だしね、「過去の問題」とか拉致問題もあるし、北朝鮮籍の人も日本に住んでるからね。おまけに分断国家だからイラクみたいなわけにはいかないのよ〜。いきなり攻撃したりしちゃこれはちょっとまずいんじゃないかなぁ。難民も出るしね、そーなったらほら中国だってたいへんだよ〜。あんたが強いことはよ〜〜〜っくわかったから、ここは穏便にね。「大将喧嘩せず」いや「金持ち喧嘩せず」って昔からゆーでしょ?だからそのご威光でなんとかならんもんでしょ〜かね?ねえ、ブッシュさん?

 それからね、金さんもね、だめだよ〜、日本はそーでなくても核アレルギー強いんだから。送金とめちゃうぞ!ん?スキャンダルばらす?日本の政治家の?あー、それはないでしょっ!それは言いっこなしだよ〜!ちゃんとほら息子さんだって帰してあげたんだし・・・引田天功も説得してみるからさぁ?ソニーの工場ぐらい作るからさあ、やっぱ核はまずいよ〜っ!自棄起こしちゃだめだってば、ね?

 うーん、こう考えると日本の選択肢は少ないよなあ。「事態の推移」を見守ることしかできないね。ましてや一日本国民としてはね、こーやって平和的解決を祈るしかありませんなぁ。まあなんでもポジティブに考えようじゃありませんか!わっはっは!

 今日は朝鮮半島関係ということで、金城一紀『GO』(講談社文庫、オリジナル2000年、発起人評価7/10)でもお薦めしておきます。


4月24日(木) 地方議会議員選挙の騒音

 発起人が住んでいる地方でも今度の日曜日には選挙があるので、選挙カーが大騒音を立ててはしりまわっている。もちろんね、民主政治の基本は選挙であって、有権者は各候補者の政見に耳を傾け、過去の政治的な行動をよくチェックした上で清き一票を投じなければならないということはじゅーぶん理解しているつもりではある。しかしね、この大騒音、なんとかならないでしょーか?

 政策というより名前の連呼なんですよね。「○○X一郎!地元の○○X一郎!△△町のみなさま、地元の○○X一郎!」うー、地元だったらなんで○○X一郎にいれなきゃいけないんだよ〜?

 あ、もう一台やってきた、「あ、ご苦労様でございます!○○X一郎候補も共にがんばりましょー!こちらは地元の△◎男でございます。△◎男、最後のお願いに・・」「○○X一郎、○○X一郎!△◎男候補も共にがんばりましょー!」・・・△候補も○○候補もそんないー人ぶらないでくれたまへ!政党も信条も違うはずなのに、また有権者はひとり一票しか持っていないのに、すれ違う時にエール交換するのはやめてくれたまへ!

 私が住んでいる地方では、地方議会議員の選挙はいわゆる大選挙区制だから、定数+αの候補者が町のどのエリアからも得票できる。つまり、選挙カーは何十台も狭い町の中を走り回る。そういうわけで、国政選挙や知事選、都議会議員選挙に比べて選挙カーの密度は高く、騒音度は数ある選挙の中でも最高潮に達する。これはほとんどの地域で同じ現象が起きているのだと思う。民主主義のコストとして耐え忍ばなければならないのだろうか?

 もちろん、選挙活動に取り組んでいる人たちはいろいろな動機から真剣なのだとはお察しするが、選挙カーで走り回れば回るほど、その候補の得票は落ちるのではないか。現に私などは天邪鬼のせいか、家の周りで騒音を立てた候補には選挙公報に赤ペンで大きな×をつけている。赤ペンの×がついていない候補から選ぶつもりであるが、最後にはみんな×ということになるかもしれない。

 選挙に限らず、日本社会に蔓延する騒音と過激に闘い、騒音を許容し促進する日本社会の深層心理にまで踏み込んだ名著が、中島義道 『うるさい日本の私』(新潮文庫、オリジナル1996、発起人評価10/10)とその続編『騒音文化論−なぜ日本の街はこんなにうるさいのか』(講談社+α文庫、オリジナル1998、発起人評価9/10)。選挙関係者だけではなく、すべての人におすすめです!


4月23日(水) レンタルサーバーはどこがいいのかな

 だんだんこのサイトのコンテンツも充実してきた?ので、そろそろレンタルサーバー捜しを始めている。でも私が今使っているFrontPageというホームページ作成サーバー拡張版というのをサポートしているサーバー屋さんはなんだか少ないんだよね。どうしてだろうか。本屋さんに行っても今まで避けてきたコンピュータ関連コーナーにはFrontPage関連の本はほとんどない。ホーム・ページ・ビルダーは何種類も出ている!

 うーん、こんなに何にも知らないでいいのだろうか、果たして中年サラリーマン、発起人のこの計画は日の目を見ることができるのだろうか?

 本日読了したのは藤原帰一 『デモクラシーの帝国』(岩波新書、2002)。イラク戦争とは何だったのかと思って手にとって読み始めたが、やはり東大大学院の先生だけあってアメリカがどうして現在のような「帝国」になったのかという分析は緻密だし、先生なのにときどき映画の例を引いて(『インディアナ・ジョーンズ』、『インディペンデンス・デイ』、『地獄の黙示録』)私のような素人もあきさせない工夫も好感できる。でもこの藤原先生(って書くとなんだか『ののちゃん』の藤原先生みたいだけど)が昨年書いた時点よりさらにアメリカの「帝国」ぶりはエスカレートしているように思われる。現実の進展の速さに藤原教授(って書くね)も茫然とされているのではないだろうか?

 「・・帝国に向かってしまったアメリカを国際主義と国際協力のなかに引き戻すための、われわれの努力が求められるのである」(pp204)が、イラク戦争でアメリカはこれとはまったく反対の方向にさらに危険な一歩を踏み出したように思われる。藤原先生のせいではないが、この無力感のため、発起人評価は6/10。 


4月22日(火) 黄色い声の謎

昨日の続き、行きます!

・・・山本文緒『ブルーもしくはブルー』(1992)、エルロイ『ホワイト・ジャズ』(1992、アメリカ)、コナリー 『ブラック・アイス』(1993、アメリカ)、コナリー 『ブラック・ハート』(1994、アメリカ)、ハンター『ダーティホワイトボーイズ』(1994、アメリカ)、真保裕一 『ホワイトアウト』(1995)、キング『グリーン・マイル』(1996、アメリカ)、ハンター『ブラックライト』(1996、アメリカ)、貴志祐介『黒い家』(1997)、車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(1998)、シェイマス・スミス『わが名はレッド』(2002、アイルランド?)。

 声と色を結びつけた本は、無い。それでは私が本を書けばいいんだ。題名はズバリ、『黄色い声の謎』!

「あなた、ほら、あの本の題名は?」

「ルルー『黄色い部屋の謎』(1907、フランス)・・・」

「ああ、これが落ちのつもりなのね!」

「うう、すいません、これがほんとの『色ざんげ』」

「ちなみに、宇野千代、1935ね!」

「おっしゃるとおり!」


4月21日(月) 女子高生の声援はなぜ「黄色い」のか?

 アゴヒゲアザラシのタマちゃんが今度は埼玉県の中川で発見されたそうである。暗いニュースが続くなかで唯一の明るいニュースだと言える。横浜市役所は住民移動届をタマちゃん(ニシ・タマオさん)に代わって、越谷市役所に出さなければならないとか、引越しに伴って名前もたとえばサイ・タマオに変えるべきだとかいろいろ気になることもあるが、私がここで問題としたいのは中川で「タマちゃ〜ん!」と呼掛ける女子高生の声がなぜ「黄色い」と表現されるのかということである。「通学時間帯には、女子高生らが、アザラシが顔を出すたびに、橋の上から「タマちゃ〜ん」と黄色い声援を送っていた。」とasahi.comの記事にある。

 女子高生の声が「黄色い」のなら男子高生の声は何色なんだろう?中年サラリーマンは?うーん、考えてみると声を色で表すのはこの「黄色い」という場合しか無いのではないか。「ピンクレディの復活にかつて熱烈なファンだったおじさんたちも桃色の声援を送っていました」とか、「日本中が青い声援を送ったワールドカップ日韓大会」という言い方は 、たぶん、ない。「桃色吐息」という歌はあったが、これはたぶん「青色吐息」から思いついた表現だろう。

 本のタイトルに色を使う例は多い。私が読んだことのある本でも、

スタンダール『赤と黒』(1830、フランス)、ボー『黒猫』(1843、アメリカ)、ホーソーン『緋文字』(アメリカ、1850)、メルヴィル『白鯨』(アメリカ、1851。原題はモービー・ディックだが・・・)、ドイル 『緋色の研究』(1887、イギリス)、オルツィ『紅はこべ』(1905、イギリス)、モンゴメリ『赤毛のアン』(1908、カナダ。これも原題は違う)、メーテルリンク『青い鳥』(1908、ベルギー)、ミルン『赤い館の秘密』(1921、イギリス)、モーム 『赤毛』(1921、イギリス)、コレット『青い麦』(1923、フランス)、クリスティ『青列車の謎』(1928、イギリス)、スタインベック『赤い子馬』(1937、アメリカ)、佐多稲子『くれない』(1938)、ウールリッチ(=アイリッシュ) 『黒衣の花嫁』(1940、アメリカ)、アイリッシュ『黒いカーテン』(1941、アメリカ)、志賀直哉『灰色の月・万暦赤絵』(1947)、石坂洋次郎『青い山脈』(1947)、ブラウン『まっ白な嘘』(1953、アメリカ)、ブラッドベリ『太陽の黄金の林檎』(1954、アメリカ)、遠藤周作『白い人・黄色い人』(1955)、松本清張『黒い樹海』(1960)、柴田錬三郎『赤い影法師』(1960)、澁澤龍彦『黒魔術の手帖』(1961)、井伏鱒二『黒い雨』(1966)、井上ひさし『青葉繁れる』(1973)、渡辺淳一『白き狩人』(1974)、小林久三『暗黒告知』(1974)、ハリス『ブラック サンデー』(1975、アメリカ)、村上龍『限りなく透明に近いブルー』(1976、日本)、井上ひさし『黄色い鼠』(1977)、森村誠一『白の十字架』(1978)、赤川次郎『黒い森の記憶』(1981)、ウォーカー『カラーパープル』(1982、アメリカ)、キング『ゴールデンボーイ -恐怖の四季 春夏編−』(1982、アメリカ、これも原題は違いますが)、藤村信『赤い星 三日月 絹の道』(1984)、内田康夫『白鳥殺人事件』(1985)、井上ひさし『江戸紫絵巻源氏』(1985)、逢坂剛『カディスの赤い星』(1986)、エルロイ『ブラック・ダリア』(1987、アメリカ)、ヴァクス『ブルー・ベル』(1988、アメリカ)、 宮部みゆき『パーフェクト・ブルー』(1989)、筒井康隆『残像に口紅を』(1989)、ケイ『白い犬とワルツを』(1990、アメリカ)、ゴダード『蒼穹のかなたへ』(1990、イギリス)・・・・

 続きと落ちはまた明日!


4月20日(日) 愛知の会社役員誘拐事件

 で、報道協定設立後にネット匿名掲示板に事件のことを知らせる書き込みがあったことが朝日新聞(ネット版)で報道されている。これ、どうなんでしょうか。やっぱり人の口に戸は立てられないということなのか、匿名でそんなことを言うこと自体を禁止せよという方向に動いてしまうのか。

 当サイト(工事中)のコンテンツの基本になるはずの書評コーナーのことを考えてみると、基本的には匿名にするがなんかあったときのために電子メールアドレスなどの基本情報はみなさんに登録していただくという措置が多分必要だということになる。でもどこの馬の骨ともわからない発起人を信用してみなさんに登録していただけるのか、ましてや登録して書評まで提供しかつ年会費まで払っていただけるものなのか。年会費はみなさんの自主性(寄付、カンパ)にまかせて登録する人の数をまず増やすことを優先すべきなのか?あー、honnnomushi.comという ドメインもとりあえず押さえるべきなのか?いろいろ言ってもしかたがないからとりあえずオープンしてみて考えるべきなのか。オープンするにしても書評のフォーマットはどうやって作るのかよくわからないなあ。オープンしたらしたでいろいろたいへんだよなあ・・・と堂々めぐりの思案が続く。

 会社役員誘拐事件のほうは誘拐された役員は殺害され、犯人は捕まっていないという状況・・・。犯人の早期逮捕を望む。 


4月19日(土) 煮詰まったときは本の話

 だよね、やっぱり。発起人お奨め『百人一書』というのを考えた。百人の作家・著者からこの1冊を選ぶという企画なのだが、選んでみると、最近の外国作家の(といっても多くはアメリカだが)作品は、ホラー系・サイコ系が多いなあ。というか人がよく死ぬ作品が多い。私自身が大量死をどこかで望んでいるのか、基本的には平和な日本にいるからこそこういうアメリカの恐ろしい作品を読んでいるのか。あるいはアメリカはこういう土壌があるから平気でイラク戦争みたいなこともできるのか。いや暴力を求めるのはもともと人間の本性なのか、私の本性なのか。

 幼女誘拐連続殺人事件というのがありましたね。そのとき犯人の男がホラー・ビデオなどを集めていたというのでいっときそうしたビデオへの社会的圧力がかかったそうだ。本も同じでスプラッター系とよばれる血・内臓飛び交うような作品には大きな圧力がかかったと聞いている。そーいう映像や本があるからそーいう犯罪が起こるのか、そーいう犯罪への好みがそーいう作品をつくるのか?そーいう作品は犯罪抑止効果を持つのか、犯罪促進作用を持つのか?

 スプラッター系への逆風吹きすさぶなかにあって刊行されたという、綾辻行人『殺人鬼』(新潮文庫、オリジナルは双葉社、1990、評価8/10)と『殺人鬼U−逆襲篇−』(新潮文庫、オリジナルは双葉社、1993、評価6/10)、悩みながらのお奨めです。


4月18日(金) 個人情報保護法案という問題もある!

 「荒らし」への対処は、参加者が匿名性を低くすることによってしか達成されないのだろうか?参加者の全員は知らなくてもたとえば発起人は本名や電話番号を知りうる立場にあるので「荒らし」への抑止力として働くということなのか?でもそれではインターネットの良さが失われてしまうような気もする。匿名性の保護と「荒らし」対処と課金と「盛り上がり」をどう両立させるか・・・。クレジットカードなら電話番号は集めなくていいはずだけど、はたしてクレジットカード会社ととりあえずは個人としての私が契約できるのか・・・。なるほどこれだけ読書関連サイトがあっても基本的には趣味サイト、無料サイトで終わっているのもうなずける 。納得、納得って、うなずいていてもしかたがないのだが・・・。

 さっきニュースを見ていたら、審議入りしている個人情報保護法案に関連して、政府側は個人が個人情報を集める際にも5千人以上の情報を集めた場合にはこの法案の規制対象になるなんて答弁をしているようだ。私の昨日の市場規模推定によると5万人ということだったから、これは個人情報保護法の規制に完全にひっかかってしまう!えーっと、いったいどういう規制の対象になるのか、よくわからないなあ。あー、いろいろ勉強することが多くて私の肩はカチンカチン、頭もガンガンしてきました。

 そんなときは、これ、星新一の師匠筋かもしれないと勝手に私が考えているフレドリック・ブラウンの短編集なんかがいいかもしれません。たとえば、『まっ白な嘘』(創元推理文庫、原著1953年、発起人評価:9/10点)の中からひとつ、ふたつ読んで寝るのが一番です。『燃えよ剣』はちょっと濃すぎるような気がしますので、今日はお休みですね。

 しかし、一風呂浴びて拙宅の屋根裏部屋に戻ってくると、肩こり・頭痛はかなりよくなっている。愛用のバイオC1で自分の写真をとってみる。うーん、ちょっと個人情報保護の観点からウェブには載せられないなあ。なかなかいい顔してると思うんだけど、顔出しはまずいよなぁ〜!

 スティーブン L.ネルソン『ひと目でわかるMicrosoft FrontPage Version 2002』(日経BP、2001年)を見ながら写真取り込みの方法がやっとわかった発起人でした。


4月17日(木) ビジネスモデルより美人モデルか?(くるしいよ〜っ!)

 というわけで、ビジネスモデルについて考えるのだ。

 私は某企業に勤務している身だが、会社では何かといえばビジネスモデル、ビジネスモデルでもう聞き飽きた、考えたくもないという言葉なのだ。まあ簡単に言えば、収支見通し、それを支える仕組みということになると私は解釈しているが、違ったらごめんなさいね。

 さて、読者によるコミュニティでどうやって収入をあげることができるのか?まず安直に考えれば有料会員制というモデル(テレビでいえばNHKモデルですね)がある。また広告収入に依存するモデルも可能である。これは民放モデルだ。でもテレビとウェブコミュニティが違うのはその参画度合いと対象とする人々の広がりである。当然コンテンツの作成能力の違いも考慮しなければならない。私にはNHK特集を作る能力は無い。他方ではそれではコミュニティの参加者がコンテンツを作成する、それを参加者がお金を出して買うということになれば、それは一種の出会い系ではないか、それでもいいのかという考えが脳裏を横切る。

 ちょっと待てよ、まず「本の虫」という人たちはどれくらいいるのだろうか?市場規模を考える必要がある。私が高校生ぐらいの時は、クラスにひとりやふたりは難しい顔をして、哲学書とか文芸書を読んでいるやつがいたものだ。たとえば、ニーチェとかマルクスとかサルトル、ドストエフスキーなんかだが、そうしたビッグ・ネームにはそういうクラスの少数派以外でも読んでみたいと思わせるパワーも持っていた。(ちなみに私自身はドストエフスキー以外はみんな大学に入って読み始めた。)

 ところが1980年代ぐらいからはそんな肩の凝る、読んでもよくわからない本なんか読まないでもいろいろほかに楽しいことがあるだろうということになってきたような気がする。そうした傾向を促進したのは、私見ではビデオの普及とTVゲームの普及である。そしてインターネットはこうした傾向の勝利を確実なものにした。いったい私を含めてどれだけの「本の虫」がどれだけの時間を活字から奪われ、テレビ画面とパソコン画面の前に釘付けにされただろうか。そしてそのことによって、たとえば、豊田行二は松阪季美子に、司馬遼太郎は『信長の野望』に、読者の多くをさらわれたはずである。

 ということは「本の虫」はすでに希少生物の類になってしまったのだろうか。もしそうであれば、ビジネス・モデルは最初から成り立たない。でもやっぱりコアでそれだけディープになった「本の虫」はいるはずだ。ええっと、日本の人口1億3千万人弱で、成人人口はたしか1億人ぐらい。むかしはクラスに最低ひとりはいた「本の虫」が2クラスにひとりになっているとして、ざっと100人にひとり、ということは約100万人、インターネットをやっている「本の虫」はざっとその半分と数えると50万人!!

 50万人のうち、10人にひとりがこのコミュニティに参加してくれれば、えーっと、5万人×3650円(年会費)=1億8千250万円/年!よしよし、これだけあれば私が会社をやめても食っていけるし、サーバー運営などの費用をひいても利益の出る会社ができるはず・・・。広告を出したいという出版社やもろもろも寄ってくるはずだ。

 そうなんだろうか。そもそも5万人が参加しても5万人は仲良くやっていけるのだろうか?いわゆる「荒らし」にはどうやって対処していくのだろうか。うーん、いろいろ解決すべき問題点があるなあと、松岡裕典・市川昌浩・竹田茂『ネットコミュニティビジネス入門』(日経BP社、2003年)をパラパラめくりながらすでに初夏の雰囲気のただよう夜は更けていくのである。

「ねえ、あなた、松坂季美子って誰?松坂慶子じゃないの?」

「勝手に書くな〜っ!」


4月16日(水) 本の虫たちの生態

 あーっ!グーグルで「本の虫」を検索してみるとすでに何人かの人が同じタイトルでホームページを立ち上げてる。しかもすでにキャラまであるし、本の虫というタイトルの本まである。それなのに本の虫?しかも有料会員制??

 これはビジネスモデルを考え直さなきゃいかんな。うーん、そこで私は次の事実を発見した。「本の虫」と名乗ってるホームページ、そしてそれだけではなく個人の読書に関するホームページには次のような共通する特徴があることを・・・。

 まず、第一に、こうしたホームページでは、「いかに私はたくさん本を読んでいるか」という誇示の願望が明らかだ。謙虚に見える言葉使いの背景にもこうした願望が見え隠れする。私はこんなクロートしか読まない本を実は読んでるんです、まあおもしろいですよ、一般受けはしないと思いますけどね、という本がさりげなく紹介されていたりする。ひとことで言えば、自己顕示欲が強い。

 また第二に、読書関連ホームページはリスト作りが大好きである。ほとんどのホームページは、著者、タイトル、年代、カテゴリーなどに分けた読書リストが作られている。

 そして第三に、これらの方々は評価するのも大好き。☆とか点数でご自分で読まれた本を評価されている。

 こうした「本の虫」たちに共通するのは、そう、社会性が希薄なことである。あるいは基本的に孤独なことである。自分たちの趣味が社会から拒絶されていることに関する絶望、諦めそして怨嗟に満ちている。

 そうだ!「本の虫」は団結せねばならない。陽のあたる場所に出てお互いの悩みを願望を語り合わなければならないっ!そこにコミュニティとしてのこのサイトの意義があるはずだ。

 でも、第四に、本の虫たちは群れるのを嫌がっているようにも見える。

 「なに、これ?自分のこと書いてるの?自分で読んだ本をせっせとパソコンにいれてるし、ベスト100とか作ってるじゃない?」

 「こらっ、勝手に触るんじゃないっ!」

 今読んでるのは、司馬遼太郎 『燃えよ剣』(新潮文庫、オリジナルは1964)です。(どこがクロートなんだか・・・)


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